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2月23日
2015.02.24 Tuesday 01:48 | 日記
旅行だ。8時に名古屋に着いていたかったので、逆算すると6時起き。最近の就寝時間は4〜5時。お、おしまいだ…。なんとか無理して3時に眠った。でも3時間しか眠れていない! 3時間しか眠れてなくても割と動ける気がする。高校ぶりの新幹線に乗る。と思ったけど一度台風かなにかで電車が運休したときに新幹線乗った記憶あるな。普段「岐阜羽島駅なんてなんのためにあるんだ」と思っていたけど、なるほど、電車が運休したときにちょうどいいな。どんなセレブだよ。ウオーそれにしても新幹線だ。眠ったり眠らなかったりで広島県は福山に。そこからまた電車を乗り継いで忠海へ。フェリーが来るまで時間があったので駅近くのお好み焼き屋に行った。こぢんまりとした店で、座布団になにかが丸まっている。犬だった。多分マルチーズ。ずいぶんと年寄りらしく、なでさせてもらったがずっと震えていた。あたたかかった。お好み焼き(というか注文したのはモダン焼き)もおいしかった。思ったより時間がギリギリになってしまい急いでフェリーに向かう。急いで、と言いながらしっかりコンビニに寄ってうさぎの餌を買う。
フェリーは人生で2度目かな? 大人しく座っていようと思ったけど無理だった。外に出て風景を見る。波! 風! ワアーと思っているうちに目的の大久野島に着いた。多くからでもわかる、白黒茶色のポツポツとした点! これ全部がうさぎだ。全部うさぎ! 野鳥の感覚でうさぎがいる。テンションがぐんぐん上がる。宿泊施設の前につくともううさぎしかいない。人間よりもうさぎが多い。買ってきた餌をまくともうハーレムになる! ここで全部まいてしまうのはもったいないので島を回ることにした。歩いていると遠くからうさぎがターーッとかけてくる。大久野島には毒ガス製造施設の廃墟もあるのでそれも見ながら回っていると木陰からガサガサッとうさぎが出てくる。ポケモンの「アッ、野生の◯◯が飛び出してきた!」ってこんな感じだ! と思った。道なりに歩いているうちに展望台があるという山道があったので進む。想像以上にただの登山だった。岐阜城が乗ってる山(金華山)を思い出す。普段坂道と聞くとウッと思うけど、山道は割と嫌いじゃない。たまにシダの下からうさぎが出てくる。普通の道ではちょっとついてきては食べものをねだって、もらえたりもらえなかったりするとあとはその場に寝転がるだけなのだけど、山道はあまり人が通らないからなのか結構ついてくる。あんまりに後ろをついてこられると愛着が湧いてしまう。すごくかわいいしついつい食べものをやってしまう。奴らは絶対餌しか見てないとはわかってるんだ…わかってるのに…。山を降りてくると島の半分しか進んでいなかったらしい。とにかくうさぎまみれになれる島だ。うさぎと廃墟が好きなら来て損はないと思う。
夕飯はバイキングで、魚を食べるなどした。普段海のない県に棲んでいるので魚がおいしい! 海のない県に棲んでいると「刺身とはやわらかいもの」というイメージがついてしまう。新鮮な刺身はかたくて歯ごたえのあるものなんだ…。おいしかったのでたくさん食べたけどまだお腹がすいているような気がする。食後にウミホタルについての講習会があったので覗いてみる。暗闇でホタルのようにぼんやりと光る生き物だ。いままでクラゲの一種だと思っていたけど、クラゲじゃなくて甲殻類の一種らしい。貝虫類という種類で、見た目はミジンコみたいなのに殻に覆われているのだという。体長は2〜3mmで、いかにもプランクトンを食べそうなのに実は魚を食べる肉食性らしい。もうこの時点で正直興味津々どころではない。こんな変な生き物が海の中に! クラゲみたいな2〜3mmの肉食の甲殻類! こんな生き物がいるなんて全然知らなかった! 「ウミホタルの発光をお見せしましょう!」みたいな感じの講習会だったのにそれ以前の解説でウミホタルを気に入りすぎて発光現象がおまけのような感覚になってしまった。アッ、発光現象は普通に綺麗だった。思っていたよりも明るく青白く光っていた。夏なんかだと大久野島の海に石を投げ込むと海面が青く光ったりするらしい。ウミホタルの発光はウミホタルルシフェリンとウミホタルルシフェラーゼという物質が水の中の酸素と反応して光るのだそうだ。危険を感じると光るのだけど、奴らは負の走光性があり自ら光ることで反射的にその場から逃げることができるという回りくどい危険回避を取っているのだという。おもしろい生き物だった。今日はこれで終わり。明日帰ります。
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2月22日
2015.02.23 Monday 01:59 | 日記
雨が降っているけど、ビニール傘は盗まれてしまったので傘を差せずに出かけることになる。今日はほとんどPC仕事だった。データをポチポチ入力しては商品POPを作りにいき、また戻ってきてはデータ入力。こんな簡単な仕事で3時間も過ごしてしまっていいんだろうか。他の仕事しろって言われても困るけど…。岐阜のいちごは主に美濃娘と濃姫という2種類の品種が栽培されており、それが店にも出回っている。たまに熊本の紅ほっぺやさがほのか、福岡のあまおうが入ってくる。意外と近場のいちごは入ってこない。でも最近愛知のゆめのかや章姫が入ってきた。廃棄処分という名の食べ比べをした結果、ゆめのかは結構おいしいなと思った。今日もおいしかった。
帰ろうとしたら自転車のタイヤがパンクしていた。後輪。自分の乗り方が雑だからなのかいたずらなのかはもはやわからない。でも行きにはなにもなかったし、乗り上げるような乗り方もしていないし、なんなんだろう。とはいえ返却期限が今日のCDを持っているのでそのまま帰るわけにもいかない。その足でツタヤに行く。パンクしたまま乗るとリム? という部分が歪んでしまうので押していく。雨が降ってくる。傘はない。もはや逆に楽しくなってきたぞ! 返却してから近くのスーパーで傘を買おうとして、取り扱いがないと言われたので仕方なく徳用で7個入りのどら焼きを買って出る。パンクと雨でもう気分がゆかいなことになっていたのでしょっぱいものを食べたくなってコンビニを探す。ツタヤから帰る道にはコンビニが1店もないことは知っていたので全然知らない道を通ってコンビニを探すことにしたのだけど、案の定迷う。頭がおかしくなっているとなにをしでかすかわからない。
とりあえず自転車に乗ってないんだから音楽聴いてもいいじゃん! と思って公園の近くで立ち止まって鞄を漁っていると金属がこすれるような高い音がする。エッなんだ、誰かいるのか、と怯えていると生け垣から猫が出てきた。猫! 謎の金属音は猫の鳴き声だった! あんまり猫が鳴くようなところに遭遇したことがなく、猫の鳴き声を聞くのは久しぶりだったからパッと聞いてもわからなかった。最初に出てきた黒い猫に気を取られていると足をスッ…とこすられる感覚がする。もう1匹いる! 真っ白な猫だ。やたらすりついてくる。は、初めてだ…。猫にこんなすりつかれるの初めてだ! 思わずしゃがんでなでる。なでられた! 猫を! この自分が!! 猫を!! おとなしくなでられるどころかもうめちゃくちゃすりついてくる猫! 頭に手をやると頭突きをしてでもなでられようとする猫! ワアアア! こんなに懐いてるのはきっとあれだな、食べ物目当てだな、と思いさっき買ったどら焼きを開封する。ビニールのガサつく音に敏感に反応する猫ども。やっぱり! ちぎって投げるとすごい速さで飛びかかる。あっという間に2つ平らげたころにはもう2匹新しいのが来ていた。黒いのがもう1匹と、キジトラ。こちらの黒いのは尻尾が短かった。キジトラはちょっとちいさかった。こいつらにもどら焼きをやる。すごい食べる。もっとくれと言わんばかりにすりつく猫。さっきまでの雨で濡れている。ズボンが冷たい。うれしい。猫にモテている! 生まれて初めて猫にモテている! 食べ物をやったからなのかされるがままになでられている猫! ウオオ! 散々なでまわしてからまたパンクした自転車を押して帰った。寒かった。そういえば今日猫の日だった。こうして猫の日らしい1日を過ごした。
サービス精神旺盛な猫2匹。
帰ろうとしたら自転車のタイヤがパンクしていた。後輪。自分の乗り方が雑だからなのかいたずらなのかはもはやわからない。でも行きにはなにもなかったし、乗り上げるような乗り方もしていないし、なんなんだろう。とはいえ返却期限が今日のCDを持っているのでそのまま帰るわけにもいかない。その足でツタヤに行く。パンクしたまま乗るとリム? という部分が歪んでしまうので押していく。雨が降ってくる。傘はない。もはや逆に楽しくなってきたぞ! 返却してから近くのスーパーで傘を買おうとして、取り扱いがないと言われたので仕方なく徳用で7個入りのどら焼きを買って出る。パンクと雨でもう気分がゆかいなことになっていたのでしょっぱいものを食べたくなってコンビニを探す。ツタヤから帰る道にはコンビニが1店もないことは知っていたので全然知らない道を通ってコンビニを探すことにしたのだけど、案の定迷う。頭がおかしくなっているとなにをしでかすかわからない。
とりあえず自転車に乗ってないんだから音楽聴いてもいいじゃん! と思って公園の近くで立ち止まって鞄を漁っていると金属がこすれるような高い音がする。エッなんだ、誰かいるのか、と怯えていると生け垣から猫が出てきた。猫! 謎の金属音は猫の鳴き声だった! あんまり猫が鳴くようなところに遭遇したことがなく、猫の鳴き声を聞くのは久しぶりだったからパッと聞いてもわからなかった。最初に出てきた黒い猫に気を取られていると足をスッ…とこすられる感覚がする。もう1匹いる! 真っ白な猫だ。やたらすりついてくる。は、初めてだ…。猫にこんなすりつかれるの初めてだ! 思わずしゃがんでなでる。なでられた! 猫を! この自分が!! 猫を!! おとなしくなでられるどころかもうめちゃくちゃすりついてくる猫! 頭に手をやると頭突きをしてでもなでられようとする猫! ワアアア! こんなに懐いてるのはきっとあれだな、食べ物目当てだな、と思いさっき買ったどら焼きを開封する。ビニールのガサつく音に敏感に反応する猫ども。やっぱり! ちぎって投げるとすごい速さで飛びかかる。あっという間に2つ平らげたころにはもう2匹新しいのが来ていた。黒いのがもう1匹と、キジトラ。こちらの黒いのは尻尾が短かった。キジトラはちょっとちいさかった。こいつらにもどら焼きをやる。すごい食べる。もっとくれと言わんばかりにすりつく猫。さっきまでの雨で濡れている。ズボンが冷たい。うれしい。猫にモテている! 生まれて初めて猫にモテている! 食べ物をやったからなのかされるがままになでられている猫! ウオオ! 散々なでまわしてからまたパンクした自転車を押して帰った。寒かった。そういえば今日猫の日だった。こうして猫の日らしい1日を過ごした。
サービス精神旺盛な猫2匹。
2月21日
2015.02.22 Sunday 04:24 | 日記
曜日感覚っていうか日付感覚がなくなっていて、いまタイトルを打ち込んだときに「21日!?」と驚いた。おそろしいな…2月がもう1週間しかないじゃないか…。っていうかもう2月になって3週間経ったのか…。コンタクトレンズを新しく開封してつけていたけど、すこぶるよかった。やっぱりレンズがおかしかったんだな。5日目(実質3日目)にいろいろやらかしたあれが原因かもしれない。前途多難だ…。次こそちゃんと問題なく2週間使い切りたい。つけるのもだいぶうまくできるようになってきたし、この調子だ。せいぜい2ミスぐらいでつけられるようになった。ミスはする。
「となり町戦争」を読み終えた。おもしろかった。終始実際に戦争を行っているという描写を書くことのない戦争小説(と言っていいのか?)だった。唯一戦争と関わることができる場所が役所であるのに、その役所でも役所でできること程度でしか関わることができないというもどかしさ。偵察といういかにも戦争行為のようなことを任されたと思ったかと思えばただ生活をしているだけ。それでも戦死者は増えている。もどかしい。実際なんらかの用事があって役所に行ってもだいたいどんな用事でもやること自体は名前を書いたり書類を受け取ったりぐらいのことしかしないし、たとえその用事が戦争だろうとすることはまったく同じ、というところがお役所仕事を皮肉っているなあと思った。だけど、ところどころに出てくる「戦争の痛みがわからない」という文は、むしろあえて痛みを伝えないようにするのが役所の仕事であり、「僕」が痛みがわからないというのは役所がちゃんと役目を果たしている証拠なのだろうと思った。実際に戦場に向かう兵士はともかく、人を殺さなくてもいい(とはいえ立派な戦争行為だけれど)偵察業務をする人に対して「戦争に参加している」という意識をできるだけ持たせないことは戦争という行為をする上で必要なことなんだろうな。死刑を執行するときに板を落とすスイッチのほかにダミースイッチをいくつか用意して、複数の執行人で処理することで人を殺したという意識を持たせないようにするみたいに。だから役所は淡々としているべきだし、来た人にはただ「役所で用事をこなした」という気分にだけすればいい。でも役所から受け取った事務処理をこなしているだけでとなり町で人が死んでいると思うとやっぱり不気味だ。そういう薄気味悪さがとてもよかったと思う。細かいところだと、自分も食事中でも視線に文字を必要とするタイプの人間なので、冒頭のシーンはかなり共感した。視線が手持ち無沙汰になるのがあまり好きではなく、興味もないのに新聞の広告欄などをボーッと眺めていることが多い。ポスターとかもよく読む。何度でも読む。だからこんなにツイッターにハマっているというわけ。とにかく、初めて読む三崎亜記の長編だったけどとてもおもしろかった。ありがとう。そういえば役所というと住民票取りに行かないといけないんだよなあ。忘れてたや。
ツタヤでCDを借りた。母がアルバムのレンタルが半額になるクーポンを持っており、それを利用したところ本来5枚で1000円(税込1080円)のところを1070円で8枚も借りることができた。内訳は新作300円が3枚、旧作310円を4枚、フリーレンタルが1枚だ。それを半額で1070円。お得! 最初5枚で1000円が半額で500円になると思っていたら、同時に使うことはできないと言われた。そりゃあね。GOOD ON THE REEL「6番線の箱舟」、GRAPEVINE「Burning Tree」、CHERRY NADE 169「FREE RENTAL MIX」、Hello Sleepwalkers「Liquid Soul and Solid Blood」、ヒトリエ「WONDER and WONDER」、phatmans after school「セカイノコトハ」、Large House Satisfaction「in the dark room」、V.A.「宇多田ヒカルのうた -13組の音楽家による13の解釈について-」を借りたぞ。思ったより新作ばかりになった。明日返しに行かないと。
「となり町戦争」を読み終えた。おもしろかった。終始実際に戦争を行っているという描写を書くことのない戦争小説(と言っていいのか?)だった。唯一戦争と関わることができる場所が役所であるのに、その役所でも役所でできること程度でしか関わることができないというもどかしさ。偵察といういかにも戦争行為のようなことを任されたと思ったかと思えばただ生活をしているだけ。それでも戦死者は増えている。もどかしい。実際なんらかの用事があって役所に行ってもだいたいどんな用事でもやること自体は名前を書いたり書類を受け取ったりぐらいのことしかしないし、たとえその用事が戦争だろうとすることはまったく同じ、というところがお役所仕事を皮肉っているなあと思った。だけど、ところどころに出てくる「戦争の痛みがわからない」という文は、むしろあえて痛みを伝えないようにするのが役所の仕事であり、「僕」が痛みがわからないというのは役所がちゃんと役目を果たしている証拠なのだろうと思った。実際に戦場に向かう兵士はともかく、人を殺さなくてもいい(とはいえ立派な戦争行為だけれど)偵察業務をする人に対して「戦争に参加している」という意識をできるだけ持たせないことは戦争という行為をする上で必要なことなんだろうな。死刑を執行するときに板を落とすスイッチのほかにダミースイッチをいくつか用意して、複数の執行人で処理することで人を殺したという意識を持たせないようにするみたいに。だから役所は淡々としているべきだし、来た人にはただ「役所で用事をこなした」という気分にだけすればいい。でも役所から受け取った事務処理をこなしているだけでとなり町で人が死んでいると思うとやっぱり不気味だ。そういう薄気味悪さがとてもよかったと思う。細かいところだと、自分も食事中でも視線に文字を必要とするタイプの人間なので、冒頭のシーンはかなり共感した。視線が手持ち無沙汰になるのがあまり好きではなく、興味もないのに新聞の広告欄などをボーッと眺めていることが多い。ポスターとかもよく読む。何度でも読む。だからこんなにツイッターにハマっているというわけ。とにかく、初めて読む三崎亜記の長編だったけどとてもおもしろかった。ありがとう。そういえば役所というと住民票取りに行かないといけないんだよなあ。忘れてたや。
ツタヤでCDを借りた。母がアルバムのレンタルが半額になるクーポンを持っており、それを利用したところ本来5枚で1000円(税込1080円)のところを1070円で8枚も借りることができた。内訳は新作300円が3枚、旧作310円を4枚、フリーレンタルが1枚だ。それを半額で1070円。お得! 最初5枚で1000円が半額で500円になると思っていたら、同時に使うことはできないと言われた。そりゃあね。GOOD ON THE REEL「6番線の箱舟」、GRAPEVINE「Burning Tree」、CHERRY NADE 169「FREE RENTAL MIX」、Hello Sleepwalkers「Liquid Soul and Solid Blood」、ヒトリエ「WONDER and WONDER」、phatmans after school「セカイノコトハ」、Large House Satisfaction「in the dark room」、V.A.「宇多田ヒカルのうた -13組の音楽家による13の解釈について-」を借りたぞ。思ったより新作ばかりになった。明日返しに行かないと。
2月20日
2015.02.21 Saturday 02:57 | 日記
左手の甲に覚えのない怪我ができている。怪我というかなんだろう、火傷だろうか。摩擦傷のようにも見える。血色の悪い甲のど真ん中に赤い楕円の火傷があるので目立って仕方がない。元から身に覚えのない怪我をこさえることが多い。落ち着きがないこと、手足の先まで意識が行っていないこと、せっかちなことなどが奇跡のコラボレーションだ。勘弁してくれ。でも火傷なんて、それも手の甲なんて絶対気づくだろうになんで覚えがないんだろう。それになんだか跡が残りそうな気もする。別にいいけど。
今日は業務用端末をずっと触っていた。地味な作業だけど時間がすぎるのが早いし、やることがなくて立ち尽くして、なんでこいつなにもしないんだろう、って目で人から見られるよりはまし。上の人間に、バレンタインでチョコレートをもらったけどチョコレートが苦手だからあげよう、と言われもらった。高いチョコレートの味がした。高いチョコレートはおいしい。甘いし。チョコレートが苦手な人は大変だな。食べられないチョコレートをもらって1か月後にものを返さないといけないのは大変だ。でも自分はそのおこぼれがもらえるから別にどちらでもいい。おいしいものをおいしいと食べられることはいいことだなあと思って食べていた。
チケットが残っているという話を聞いて気がついたらell.SIZEの真空ホロウのライブのチケットを購入していた。3月17日だ。真空ホロウ、1stのころからそれなりに好きだけどライブに行ってないし限定シングルとかも持っていない不真面目なファンなのでせめてライブ会場限定のシングルはほしいな。まだあるんだろうか。もうなさそうな気がする…。楽しみだ。とりあえずコンビニにチケット取りに行こうな!(今日の帰りに行こうと思って忘れてた)
今日は業務用端末をずっと触っていた。地味な作業だけど時間がすぎるのが早いし、やることがなくて立ち尽くして、なんでこいつなにもしないんだろう、って目で人から見られるよりはまし。上の人間に、バレンタインでチョコレートをもらったけどチョコレートが苦手だからあげよう、と言われもらった。高いチョコレートの味がした。高いチョコレートはおいしい。甘いし。チョコレートが苦手な人は大変だな。食べられないチョコレートをもらって1か月後にものを返さないといけないのは大変だ。でも自分はそのおこぼれがもらえるから別にどちらでもいい。おいしいものをおいしいと食べられることはいいことだなあと思って食べていた。
チケットが残っているという話を聞いて気がついたらell.SIZEの真空ホロウのライブのチケットを購入していた。3月17日だ。真空ホロウ、1stのころからそれなりに好きだけどライブに行ってないし限定シングルとかも持っていない不真面目なファンなのでせめてライブ会場限定のシングルはほしいな。まだあるんだろうか。もうなさそうな気がする…。楽しみだ。とりあえずコンビニにチケット取りに行こうな!(今日の帰りに行こうと思って忘れてた)
2月19日
2015.02.20 Friday 04:24 | 日記
コンタクトレンズの左ばかり具合が悪いような気がする。つけるのも外すのも右と比べてやりにくいし、つけてもゴロゴロしやすい。つけてからしばらくすると(8時間ぐらい)突然目にものが入ったときのように痛んだりする。そうなると涙がダクダク出てくるし、ティッシュなどで拭おうとすると余計に刺激してますます涙が滲む。少し経つとなにごともなかったかのように痛みが引くのだけど、何度か繰り返して痛むのでやっぱりなにかあるような気がする。とはいえ明日で2週間が終わる。最初の2週間でこんなにヒーコラ言ってるような状態でこれから先やっていけるんだろうか。もしこの突然痛むのがいまのレンズのせいだったら、明後日新しいものを開けたときに確認できるけれど、もしそうでなかったら目のほうに問題があるんだろうな…。目のほうに心当たりがありすぎる。しかしツイッターでコンタクトレンズ受難をpostしていると、結構先輩コンタクトレンズユーザーであるアカウントの人たちが結構リプライを飛ばしてくれる。やさしい。がんばります。
今日の野菜なで活動、高校生が職業体験かなにかなのかでいて怯えた。ふたりもいた。明日もいるらしい。いやだ…。廃棄になったサラダをもらって食べながら人の話をぼんやり聞いていた。世の中にはジガバチに擬態するカミキリムシがいて、それが1匹1万円以上の値がつくほどほどレアなのでシーズンになると目撃例のある場所(結構有名な観光地らしい)にマニアが集まって網を持って立っている、などという話、もやしと肉だけ入れた鍋が包丁すら使わなくていいのですごくお手軽だという話(風景を想像するとさみしすぎる…)などを聞いていた。あとこれも廃棄の野菜チップスを食べていたのだけど、オクラをそのまま揚げたらしいものが入っていて思ったよりおいしかった。普通の塩味。おもしろいものを食べたなあという経験が残った。あとは拍子木切りにした赤大根と青大根のチップス(チップスというよりフライなのでは)も食べた。にんじんチップスは食べたことあるけど、大根のそれは初めてだ。普通の塩味。以下略。スーパーマーケットで働いていると(というか自分の勤めている店がいろいろ食べさせてくれるだけなのかもしれないけど)、試食と称していろいろ食べたことのないものを食べることができる。ドラゴンフルーツとか。あれは食感はキウイで味は薄い梨みたいな感じだったなあ。もうじき辞めるのでそれが少し惜しいな、と思う。
日記の話。若干空いている時期はあるけれど1年日記を書き続けてきた。文章力や記憶力を鍛えるために始めた日記だけど、少なくとも長文を書く能力は人並みに戻ったかな、とは思う。もう5年ぐらいツイッターをやっているので140字の上限に慣らされて長文を書く機会がうんと減ってしまった。要点をまとめるという点では優れているかもしれないが、長文も書けたほうがいい。そもそもインターネットで発言するということは、ざっくり言ってしまえばどれもこれも自分語りの一部であると思うのだけど、日記は自分語りの最たるものだと思う。特に自分はそのように使っている節がある。この日記は書き終えてからURLを直接TLに流すようなことはしていないし(別にその行為を否定する意図はないです)、わざわざ自分のホームのURLをクリックするという手間があるぶん「望んでもいないのに読ませられている」という人はいないはずだと思っている。だからいくらでも自分語りができる。アクセス解析を見ながらこんなしょうもない自分語りを読んでくれるようなもの好きな人たちがいるものなんだなあと思っている。(アクセス解析を見ている時点で言い逃れできないような気がするけど)前述のとおり元々この日記は長文のリハビリや弱い記憶力を鍛えるために始めたのでアクセス数が目的ということはない。なので誰も読んでなくたって書き続けるつもりではいるが、人に読まれているという意識があると「もうちょっとちゃんとした文章を書こう」と背筋を伸ばす気持ちが生まれるからそれはそれでいいと思う。こんな自分語りだけれど読んでくれたり拍手をもらえたりするのはとてもうれしい。拍手コメントも読んでいる。ありがとうございます。それから書き手から読み手に回ったとき、自分の日記がおもしろいと思えることはとてもよいことだと思う。誰も読んでいなくたって書き続けられるのは、自分の文章が好きでいられるからなんだろうな、というところはある。読み返すのが楽しい文章はよい文章だ。たまに恥ずかしくなるときはあるけど、自分語りっていうのは得てしてそういうものだし。
読み手というと、こうして日記を書くようになってから人の日記も熱心に読むようになった。人の日記はおもしろい。人となりがわかっている人の日記はよりおもしろい。観測範囲が狭いので自分が読んでいる日記は主にツイッターアカウントをフォローしている人のものだ。ツイッターよりもブログのほうがインターネットの主流であったころは「好んで読んでいたブログの書き手がツイッターを始めたのでフォローした」という流れがあったのだろうけど、いまは「フォローしているアカウントが日記を書いているので読む」と逆転現象が起きているのが面白いと思う。むしろ(ツイッター上という側面ではあるけれど)普段の言動がある程度把握できているからこそ、「このpostをしたときこういうことを考えていたのか」とか、逆に「今日はあまりpostしてなかったけどこういうことをしていたのか」とかわかるので新鮮で楽しい。日記の数だけ人々の暮らしがあるのだなあ、ということを思う。毎日書いている人もいるし、何日かの内容をまとめてひとつの記事にしている人もいるし、それは十人十色でいい。そのことについては『毎日アクセスして日記を読むのもいいけれど、たまに行って数日分の日記をまとめ読みするのもそれはそれで積み重ねた日々のカタルシスのようなものがあるのだ』とかつて読んだ人の日記に書いてあったことを思い出す。そう思う。それもよい。自分はいつも寝る前にFeedlyというRSSフィードリーダーでまとめて読んでいるのだけど、今日は特に好きな日記を書く人が日記を更新したとTLで見たので読むのが楽しみだ。早く日記を書き終えて寝る支度をしたい。なので今日の日記はおわり。
今日の野菜なで活動、高校生が職業体験かなにかなのかでいて怯えた。ふたりもいた。明日もいるらしい。いやだ…。廃棄になったサラダをもらって食べながら人の話をぼんやり聞いていた。世の中にはジガバチに擬態するカミキリムシがいて、それが1匹1万円以上の値がつくほどほどレアなのでシーズンになると目撃例のある場所(結構有名な観光地らしい)にマニアが集まって網を持って立っている、などという話、もやしと肉だけ入れた鍋が包丁すら使わなくていいのですごくお手軽だという話(風景を想像するとさみしすぎる…)などを聞いていた。あとこれも廃棄の野菜チップスを食べていたのだけど、オクラをそのまま揚げたらしいものが入っていて思ったよりおいしかった。普通の塩味。おもしろいものを食べたなあという経験が残った。あとは拍子木切りにした赤大根と青大根のチップス(チップスというよりフライなのでは)も食べた。にんじんチップスは食べたことあるけど、大根のそれは初めてだ。普通の塩味。以下略。スーパーマーケットで働いていると(というか自分の勤めている店がいろいろ食べさせてくれるだけなのかもしれないけど)、試食と称していろいろ食べたことのないものを食べることができる。ドラゴンフルーツとか。あれは食感はキウイで味は薄い梨みたいな感じだったなあ。もうじき辞めるのでそれが少し惜しいな、と思う。
日記の話。若干空いている時期はあるけれど1年日記を書き続けてきた。文章力や記憶力を鍛えるために始めた日記だけど、少なくとも長文を書く能力は人並みに戻ったかな、とは思う。もう5年ぐらいツイッターをやっているので140字の上限に慣らされて長文を書く機会がうんと減ってしまった。要点をまとめるという点では優れているかもしれないが、長文も書けたほうがいい。そもそもインターネットで発言するということは、ざっくり言ってしまえばどれもこれも自分語りの一部であると思うのだけど、日記は自分語りの最たるものだと思う。特に自分はそのように使っている節がある。この日記は書き終えてからURLを直接TLに流すようなことはしていないし(別にその行為を否定する意図はないです)、わざわざ自分のホームのURLをクリックするという手間があるぶん「望んでもいないのに読ませられている」という人はいないはずだと思っている。だからいくらでも自分語りができる。アクセス解析を見ながらこんなしょうもない自分語りを読んでくれるようなもの好きな人たちがいるものなんだなあと思っている。(アクセス解析を見ている時点で言い逃れできないような気がするけど)前述のとおり元々この日記は長文のリハビリや弱い記憶力を鍛えるために始めたのでアクセス数が目的ということはない。なので誰も読んでなくたって書き続けるつもりではいるが、人に読まれているという意識があると「もうちょっとちゃんとした文章を書こう」と背筋を伸ばす気持ちが生まれるからそれはそれでいいと思う。こんな自分語りだけれど読んでくれたり拍手をもらえたりするのはとてもうれしい。拍手コメントも読んでいる。ありがとうございます。それから書き手から読み手に回ったとき、自分の日記がおもしろいと思えることはとてもよいことだと思う。誰も読んでいなくたって書き続けられるのは、自分の文章が好きでいられるからなんだろうな、というところはある。読み返すのが楽しい文章はよい文章だ。たまに恥ずかしくなるときはあるけど、自分語りっていうのは得てしてそういうものだし。
読み手というと、こうして日記を書くようになってから人の日記も熱心に読むようになった。人の日記はおもしろい。人となりがわかっている人の日記はよりおもしろい。観測範囲が狭いので自分が読んでいる日記は主にツイッターアカウントをフォローしている人のものだ。ツイッターよりもブログのほうがインターネットの主流であったころは「好んで読んでいたブログの書き手がツイッターを始めたのでフォローした」という流れがあったのだろうけど、いまは「フォローしているアカウントが日記を書いているので読む」と逆転現象が起きているのが面白いと思う。むしろ(ツイッター上という側面ではあるけれど)普段の言動がある程度把握できているからこそ、「このpostをしたときこういうことを考えていたのか」とか、逆に「今日はあまりpostしてなかったけどこういうことをしていたのか」とかわかるので新鮮で楽しい。日記の数だけ人々の暮らしがあるのだなあ、ということを思う。毎日書いている人もいるし、何日かの内容をまとめてひとつの記事にしている人もいるし、それは十人十色でいい。そのことについては『毎日アクセスして日記を読むのもいいけれど、たまに行って数日分の日記をまとめ読みするのもそれはそれで積み重ねた日々のカタルシスのようなものがあるのだ』とかつて読んだ人の日記に書いてあったことを思い出す。そう思う。それもよい。自分はいつも寝る前にFeedlyというRSSフィードリーダーでまとめて読んでいるのだけど、今日は特に好きな日記を書く人が日記を更新したとTLで見たので読むのが楽しみだ。早く日記を書き終えて寝る支度をしたい。なので今日の日記はおわり。
