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2月19日

コンタクトレンズの左ばかり具合が悪いような気がする。つけるのも外すのも右と比べてやりにくいし、つけてもゴロゴロしやすい。つけてからしばらくすると(8時間ぐらい)突然目にものが入ったときのように痛んだりする。そうなると涙がダクダク出てくるし、ティッシュなどで拭おうとすると余計に刺激してますます涙が滲む。少し経つとなにごともなかったかのように痛みが引くのだけど、何度か繰り返して痛むのでやっぱりなにかあるような気がする。とはいえ明日で2週間が終わる。最初の2週間でこんなにヒーコラ言ってるような状態でこれから先やっていけるんだろうか。もしこの突然痛むのがいまのレンズのせいだったら、明後日新しいものを開けたときに確認できるけれど、もしそうでなかったら目のほうに問題があるんだろうな…。目のほうに心当たりがありすぎる。しかしツイッターでコンタクトレンズ受難をpostしていると、結構先輩コンタクトレンズユーザーであるアカウントの人たちが結構リプライを飛ばしてくれる。やさしい。がんばります。

今日の野菜なで活動、高校生が職業体験かなにかなのかでいて怯えた。ふたりもいた。明日もいるらしい。いやだ…。廃棄になったサラダをもらって食べながら人の話をぼんやり聞いていた。世の中にはジガバチに擬態するカミキリムシがいて、それが1匹1万円以上の値がつくほどほどレアなのでシーズンになると目撃例のある場所(結構有名な観光地らしい)にマニアが集まって網を持って立っている、などという話、もやしと肉だけ入れた鍋が包丁すら使わなくていいのですごくお手軽だという話(風景を想像するとさみしすぎる…)などを聞いていた。あとこれも廃棄の野菜チップスを食べていたのだけど、オクラをそのまま揚げたらしいものが入っていて思ったよりおいしかった。普通の塩味。おもしろいものを食べたなあという経験が残った。あとは拍子木切りにした赤大根と青大根のチップス(チップスというよりフライなのでは)も食べた。にんじんチップスは食べたことあるけど、大根のそれは初めてだ。普通の塩味。以下略。スーパーマーケットで働いていると(というか自分の勤めている店がいろいろ食べさせてくれるだけなのかもしれないけど)、試食と称していろいろ食べたことのないものを食べることができる。ドラゴンフルーツとか。あれは食感はキウイで味は薄い梨みたいな感じだったなあ。もうじき辞めるのでそれが少し惜しいな、と思う。

日記の話。若干空いている時期はあるけれど1年日記を書き続けてきた。文章力や記憶力を鍛えるために始めた日記だけど、少なくとも長文を書く能力は人並みに戻ったかな、とは思う。もう5年ぐらいツイッターをやっているので140字の上限に慣らされて長文を書く機会がうんと減ってしまった。要点をまとめるという点では優れているかもしれないが、長文も書けたほうがいい。そもそもインターネットで発言するということは、ざっくり言ってしまえばどれもこれも自分語りの一部であると思うのだけど、日記は自分語りの最たるものだと思う。特に自分はそのように使っている節がある。この日記は書き終えてからURLを直接TLに流すようなことはしていないし(別にその行為を否定する意図はないです)、わざわざ自分のホームのURLをクリックするという手間があるぶん「望んでもいないのに読ませられている」という人はいないはずだと思っている。だからいくらでも自分語りができる。アクセス解析を見ながらこんなしょうもない自分語りを読んでくれるようなもの好きな人たちがいるものなんだなあと思っている。(アクセス解析を見ている時点で言い逃れできないような気がするけど)前述のとおり元々この日記は長文のリハビリや弱い記憶力を鍛えるために始めたのでアクセス数が目的ということはない。なので誰も読んでなくたって書き続けるつもりではいるが、人に読まれているという意識があると「もうちょっとちゃんとした文章を書こう」と背筋を伸ばす気持ちが生まれるからそれはそれでいいと思う。こんな自分語りだけれど読んでくれたり拍手をもらえたりするのはとてもうれしい。拍手コメントも読んでいる。ありがとうございます。それから書き手から読み手に回ったとき、自分の日記がおもしろいと思えることはとてもよいことだと思う。誰も読んでいなくたって書き続けられるのは、自分の文章が好きでいられるからなんだろうな、というところはある。読み返すのが楽しい文章はよい文章だ。たまに恥ずかしくなるときはあるけど、自分語りっていうのは得てしてそういうものだし。

読み手というと、こうして日記を書くようになってから人の日記も熱心に読むようになった。人の日記はおもしろい。人となりがわかっている人の日記はよりおもしろい。観測範囲が狭いので自分が読んでいる日記は主にツイッターアカウントをフォローしている人のものだ。ツイッターよりもブログのほうがインターネットの主流であったころは「好んで読んでいたブログの書き手がツイッターを始めたのでフォローした」という流れがあったのだろうけど、いまは「フォローしているアカウントが日記を書いているので読む」と逆転現象が起きているのが面白いと思う。むしろ(ツイッター上という側面ではあるけれど)普段の言動がある程度把握できているからこそ、「このpostをしたときこういうことを考えていたのか」とか、逆に「今日はあまりpostしてなかったけどこういうことをしていたのか」とかわかるので新鮮で楽しい。日記の数だけ人々の暮らしがあるのだなあ、ということを思う。毎日書いている人もいるし、何日かの内容をまとめてひとつの記事にしている人もいるし、それは十人十色でいい。そのことについては『毎日アクセスして日記を読むのもいいけれど、たまに行って数日分の日記をまとめ読みするのもそれはそれで積み重ねた日々のカタルシスのようなものがあるのだ』とかつて読んだ人の日記に書いてあったことを思い出す。そう思う。それもよい。自分はいつも寝る前にFeedlyというRSSフィードリーダーでまとめて読んでいるのだけど、今日は特に好きな日記を書く人が日記を更新したとTLで見たので読むのが楽しみだ。早く日記を書き終えて寝る支度をしたい。なので今日の日記はおわり。

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