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10月27日
2014.10.28 Tuesday 02:28 | 日記
早起きしようとしていたのにしっかり1時間寝坊してしまった。昨夜はついついインターネットストーカー心が膨らんで5時近くまで起きていたから当たり前といえば当たり前だ。反省しなければ。そして1時間寝坊しつつも悠々と家を出たら電車の時間を5分間違えていて置いていかれる。世界はぼんやりした生き物に冷たい。
文藝春秋を手にする機会があり、そこでスイスの尊厳死についての取材記事を読んだ。スイスには「エグジット」と「ディグニタス」という自殺幇助機関があって、会員になるといろいろな手続きや本人/家族からの同意の元で死なせてもらえるらしい。ただそれにもいろいろ制約があって、例えば失恋のショックやしっかりとカウンセリングをすれば快方に向かう希死念慮(自分で書いといてなんだけど快方に向かう希死念慮ってなんだ)では認められず、あくまで病苦から逃れるためというものでないとダメだったりとか、アルツハイマー病だと症状が進行すればするほど本人の同意が取れなくなるからできなくなってしまうとか、精神障害は本当に本人の意志での同意なのかわからない(双極性障害とか)ので複数の医師の診断の元にゴーサインが出るか出ないかなどというルールが細かく決められているらしい。また尊厳死によって医療費の節約になるかといえばそうでもなくて、「病苦から逃れるため」という制約があるためやはり会員は老人がほとんどを占めるのだけれど、そういった老人たちは医療保険などを最大限に使ったあとにここの会員になるので結局あんまり変わらないという話や、初め警察などはあまりいい目で見ていなかったけれど、親族にひとりでも反対する者がいればその人と真摯に話し合ったり、丁寧な情報開示などの姿勢から次第に前向きに捉えられていったという話も載っていた。「安楽死を法律で禁止すべきだ!」という投票が行われたけれど、安楽死を法律で禁止することに反対する票のほうが多かったのだとか。
長々と書いてしまった。人々がパラパラっと読み飛ばしていく中で自分だけ時間をかけてじっくりと読んでいた。
夕飯を食べ、後輩がバイトしている喫茶店でコーヒーを飲んだ。エプロン(似合っていた)をつけてせかせかと働いている姿を見ていると不思議とにこにこしてしまう。いい。コーヒーもおいしかった。少し前からブラックで飲めるようになろうとしているけれど、そもそも猫舌なのでそれ以前の問題だった。アイスコーヒーなら飲めるようになった。缶コーヒーはいろいろあるけどたまにはずれを引いて金属みたいな味のするやつを眉根を寄せて飲むことになってしまう。ギャンブルだ。
それから「プラネタリウムのふたご」を読み終わった。貸してくれた後輩(先程の子とは違う)が一番好きというのもうなずける作品だった。本当にいい小説だった。手品もプラネタリウムの星も偽物なことは偽物なんだけど、綺麗なものは綺麗だしよいものはよい。香料で作ったいちご味もホイップクリーム風かき氷も本物じゃないけどおいしい。本物か偽物かとかも本当はあまり関係ない。よいものはよい。ガラクタだって宝物になる。あんまりにありすぎてもゴミ溜めみたいになっちゃうけど。
自分は星や星座が好きなので、そういう知識を下敷きにしているとより一層物語のなかに入りこめるので星や星座が好きでよかった。月並みな感想だけれど、プラネタリウムに行きたくなった。「ポーの話」を読んだときも動物園行きたい! と思ったので単純だ。罪悪感で眠れないということはないのでバナナは持っていかないけど。行こうと思えば足を伸ばして行ける距離に科学館があるので今度行こうかな。というか、一応は名古屋圏に住んでいるんだから名古屋市科学館に行きたいんだよ!
今回は星や星座で、小説だったけれど、世の中には「○○の知識があると(もしくは前提として)楽しめる△△」がたくさんあるのだ。有名な漫画のパロディとか政治や時事ネタとかそういうの。そういうものをいっぱい知っていると賢くてかっこいいのでいっぱい知りたいけど、テレビを見ないので政治も時事ネタもよくわからない。よくわからないので△△も楽しめないままだ。そういうの本歌取りって言うんだろう。名前だけ知っているけど実際自分ができるかっていったらできない。虫とか植物なら人より知ってると思うけどなかなか出番もない。なんかみんなが言っているはやり言葉がよくわからないまま流行が終わる。結局ぼんやりした生き物は置いていかれるのだ。
文藝春秋を手にする機会があり、そこでスイスの尊厳死についての取材記事を読んだ。スイスには「エグジット」と「ディグニタス」という自殺幇助機関があって、会員になるといろいろな手続きや本人/家族からの同意の元で死なせてもらえるらしい。ただそれにもいろいろ制約があって、例えば失恋のショックやしっかりとカウンセリングをすれば快方に向かう希死念慮(自分で書いといてなんだけど快方に向かう希死念慮ってなんだ)では認められず、あくまで病苦から逃れるためというものでないとダメだったりとか、アルツハイマー病だと症状が進行すればするほど本人の同意が取れなくなるからできなくなってしまうとか、精神障害は本当に本人の意志での同意なのかわからない(双極性障害とか)ので複数の医師の診断の元にゴーサインが出るか出ないかなどというルールが細かく決められているらしい。また尊厳死によって医療費の節約になるかといえばそうでもなくて、「病苦から逃れるため」という制約があるためやはり会員は老人がほとんどを占めるのだけれど、そういった老人たちは医療保険などを最大限に使ったあとにここの会員になるので結局あんまり変わらないという話や、初め警察などはあまりいい目で見ていなかったけれど、親族にひとりでも反対する者がいればその人と真摯に話し合ったり、丁寧な情報開示などの姿勢から次第に前向きに捉えられていったという話も載っていた。「安楽死を法律で禁止すべきだ!」という投票が行われたけれど、安楽死を法律で禁止することに反対する票のほうが多かったのだとか。
長々と書いてしまった。人々がパラパラっと読み飛ばしていく中で自分だけ時間をかけてじっくりと読んでいた。
夕飯を食べ、後輩がバイトしている喫茶店でコーヒーを飲んだ。エプロン(似合っていた)をつけてせかせかと働いている姿を見ていると不思議とにこにこしてしまう。いい。コーヒーもおいしかった。少し前からブラックで飲めるようになろうとしているけれど、そもそも猫舌なのでそれ以前の問題だった。アイスコーヒーなら飲めるようになった。缶コーヒーはいろいろあるけどたまにはずれを引いて金属みたいな味のするやつを眉根を寄せて飲むことになってしまう。ギャンブルだ。
それから「プラネタリウムのふたご」を読み終わった。貸してくれた後輩(先程の子とは違う)が一番好きというのもうなずける作品だった。本当にいい小説だった。手品もプラネタリウムの星も偽物なことは偽物なんだけど、綺麗なものは綺麗だしよいものはよい。香料で作ったいちご味もホイップクリーム風かき氷も本物じゃないけどおいしい。本物か偽物かとかも本当はあまり関係ない。よいものはよい。ガラクタだって宝物になる。あんまりにありすぎてもゴミ溜めみたいになっちゃうけど。
自分は星や星座が好きなので、そういう知識を下敷きにしているとより一層物語のなかに入りこめるので星や星座が好きでよかった。月並みな感想だけれど、プラネタリウムに行きたくなった。「ポーの話」を読んだときも動物園行きたい! と思ったので単純だ。罪悪感で眠れないということはないのでバナナは持っていかないけど。行こうと思えば足を伸ばして行ける距離に科学館があるので今度行こうかな。というか、一応は名古屋圏に住んでいるんだから名古屋市科学館に行きたいんだよ!
今回は星や星座で、小説だったけれど、世の中には「○○の知識があると(もしくは前提として)楽しめる△△」がたくさんあるのだ。有名な漫画のパロディとか政治や時事ネタとかそういうの。そういうものをいっぱい知っていると賢くてかっこいいのでいっぱい知りたいけど、テレビを見ないので政治も時事ネタもよくわからない。よくわからないので△△も楽しめないままだ。そういうの本歌取りって言うんだろう。名前だけ知っているけど実際自分ができるかっていったらできない。虫とか植物なら人より知ってると思うけどなかなか出番もない。なんかみんなが言っているはやり言葉がよくわからないまま流行が終わる。結局ぼんやりした生き物は置いていかれるのだ。
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10月26日
2014.10.27 Monday 02:09 | 日記
今日はひたすら野菜や果物をなでていたので特に書くことなし。
進捗、面白いぐらいなにも進んでいないのでやばいな〜とヘラヘラしている。
ヘラヘラしているどころではない!
アマゾンに注文していたCDが届かないなあと思っていたら初回限定盤の方を注文していたらしい。通りで届かないわけだ、と通常版を注文する。ちゃんと注文していればいまごろ手元にある予定だったはずなのに。
そういえば図書館から借りている本がまた返却期限をぶっちぎっていた。こちらは延滞金がかからないのでまだ安心だけど、催促の電話がかかってくる前に返しに行かないと…。
このごろはなにもしていないわりに凡ミスが多い。こういうことが積み重なって信用がなくなる!
進捗、面白いぐらいなにも進んでいないのでやばいな〜とヘラヘラしている。
ヘラヘラしているどころではない!
アマゾンに注文していたCDが届かないなあと思っていたら初回限定盤の方を注文していたらしい。通りで届かないわけだ、と通常版を注文する。ちゃんと注文していればいまごろ手元にある予定だったはずなのに。
そういえば図書館から借りている本がまた返却期限をぶっちぎっていた。こちらは延滞金がかからないのでまだ安心だけど、催促の電話がかかってくる前に返しに行かないと…。
このごろはなにもしていないわりに凡ミスが多い。こういうことが積み重なって信用がなくなる!
10月25日
2014.10.26 Sunday 04:09 | 日記
またとんでもない包丁を使う季節がやってきた。夏にスイカを切り冬に白菜を切る包丁だ。
これがすごい。刃の部分が35cmぐらいある。もはや武器みたいな包丁。信じられない人は「スイカ包丁」でグーグル画像検索をしてほしい。優しいのでリンクを置いておきます。
「スイカ包丁」の画像検索結果
というわけで今日はこいつをたくさん使った。
鍋のシーズンも始まり白菜がすごく安くなってきているので切っても切っても売れていく。賽の河原だ。1/4カット88円だしね。ところが明日はこれがもっと安くなるのでもっとたくさん切らないといけない。でも黙ってザクザク切るだけなので楽しい。人と話さなくてもいい。冷酷な白菜切りマシーンになる。
それで散々白菜を切ってから帰ってきたら夕飯が水炊き鍋だった。たくさん食べた。
これがすごい。刃の部分が35cmぐらいある。もはや武器みたいな包丁。信じられない人は「スイカ包丁」でグーグル画像検索をしてほしい。優しいのでリンクを置いておきます。
「スイカ包丁」の画像検索結果
というわけで今日はこいつをたくさん使った。
鍋のシーズンも始まり白菜がすごく安くなってきているので切っても切っても売れていく。賽の河原だ。1/4カット88円だしね。ところが明日はこれがもっと安くなるのでもっとたくさん切らないといけない。でも黙ってザクザク切るだけなので楽しい。人と話さなくてもいい。冷酷な白菜切りマシーンになる。
それで散々白菜を切ってから帰ってきたら夕飯が水炊き鍋だった。たくさん食べた。
10月24日
2014.10.25 Saturday 02:38 | 日記
岐阜薬科大学の大学祭のライブに行ったよ。cinema staffと鳴ル銅鑼のツーマン。
「薬科大にシネマが来るんだって」と母に報告したと思ったら気付いたらチケットを取っていたライブです。いやー正直ね、めちゃくちゃよかった。最高のセットリストだった。ライブの感想はせっかく作ったのに衝動がないと書けないのであまり更新のない向こうのブログに書きました。
こちらからどうぞ。
http://contracting-my-internet.blog.jp/archives/1012259360.html
ちゃんと文章書けんじゃん自分! 偉いぞ!
ライブのセットリストを再現したプレイリスト聴きながら寝ます。
人々の間に日記の波が来ているようでわくわくしている。みんなの生活を覗き見れるオンラインピーピングトムだ!
「薬科大にシネマが来るんだって」と母に報告したと思ったら気付いたらチケットを取っていたライブです。いやー正直ね、めちゃくちゃよかった。最高のセットリストだった。ライブの感想はせっかく作ったのに衝動がないと書けないのであまり更新のない向こうのブログに書きました。
こちらからどうぞ。
http://contracting-my-internet.blog.jp/archives/1012259360.html
ちゃんと文章書けんじゃん自分! 偉いぞ!
ライブのセットリストを再現したプレイリスト聴きながら寝ます。
人々の間に日記の波が来ているようでわくわくしている。みんなの生活を覗き見れるオンラインピーピングトムだ!
10月23日
2014.10.24 Friday 02:50 | 日記
ひどい誤字だらけだったけど、昨日の日記はそこそこ気に入る文章になった。
眠気の中書き上げたから、むしろ更新したことをちゃんと偉いって言ってくれ。
呪いと和解している人がいると思う。
「呪い」というのはなんらかの生きづらさ/コンプレックス/後ろ暗さということを抽象的に表した表現なのだけれど(発想の元はナタリーかどっかによる米津玄師の『YANKEE』発売時インタビューを探して読んでください)、これをたくさん背負っている人とそうでもない人がいる。少なくとも思春期をねじくれたまま過ごすとたくさん呪いを背負うことになると思っている。まっとうに生きるには生きづらそうな人々。「健康」でない人々。
それで呪いを背負った人間というのはやはり周りの人間とうまく関係を築けない。呪いのない人間にできることが満足にできない。築けたとしても短期の関係で終わってしまう。ただ、呪いのある人間は一種の人間には興味を惹くように映る。一種の人間は彼らがその呪いを背負うことになった過去に興味を持つ。しかしその過去が過去なのでそういった物好きな人間とも長期の関係を築くのにはいたらない。彼ら側からすれば「踏み込んじゃいけない領域だよね」という配慮、もしくはつかみどころのない得体のしれなさから一歩距離感を置かれるが、これが呪いを負った人間からするとああ自分は信頼されていないんだと映る。人によってはそれなりに交友関係を持つけれど、深い付き合いにはならない。「こんな奴がいてさぁ、」と誰かの話題の種にはなるけれど、長年の付き合いというようにはならない。
そういう人間は自然と集まるのか、身近に呪いを負った人間が何人かいる。現在進行形で呪いに悩んでいる者もいれば、それを受け入れている(ように見えているだけで本当は悩んでいるのかもしれないけれど)者もいる。呪いと対峙してなんとかしようとしている人もすごいし、呪いを受け止め飲み下している人もすごい。それぞれに呪いと和解しようとしている。
一方自分は人から「踏み込んじゃいけないよね」なんて思われる前に自分から喋るようにしたらそれはそれでなんかやばい奴だと思われるようになってしまった。つらい思春期を送った人間はそれだけで信頼されなくなってしまうとすら思ってしまう。でも言ってしまえば「自分は変なアダ名をつけられるような生き物です」とアピールしているわけなので仕方ないのかもしれない。
自分は呪いと和解できているんだろうか。正直言ってあまり和解しきれている自信はない。自分の場合、和解というよりかは見ないふりをしているだけにも思える。その代わりというにはおこがましいかもしれないけれど、身近にいる呪いを背負った人々と少しずつ仲良くなろうとしている。他人からあまり信頼されないつらさを少しはわかっているつもりだし、自分だって長いこと友達がいなかったから仲良く話をしたりできるのはうれしい。もちろん信頼だってしてるぞ。というかむしろこれもある種の和解なんじゃないかとすら思えてきた。友達のできなかった、影でツタヤとか呼ばれてきた過去との和解だ。ずっと人と仲良くなりたかったんだ。エスオーエスの向こうに救命はないと知っていたって精々生きていこうぜ。
眠気の中書き上げたから、むしろ更新したことをちゃんと偉いって言ってくれ。
呪いと和解している人がいると思う。
「呪い」というのはなんらかの生きづらさ/コンプレックス/後ろ暗さということを抽象的に表した表現なのだけれど(発想の元はナタリーかどっかによる米津玄師の『YANKEE』発売時インタビューを探して読んでください)、これをたくさん背負っている人とそうでもない人がいる。少なくとも思春期をねじくれたまま過ごすとたくさん呪いを背負うことになると思っている。まっとうに生きるには生きづらそうな人々。「健康」でない人々。
それで呪いを背負った人間というのはやはり周りの人間とうまく関係を築けない。呪いのない人間にできることが満足にできない。築けたとしても短期の関係で終わってしまう。ただ、呪いのある人間は一種の人間には興味を惹くように映る。一種の人間は彼らがその呪いを背負うことになった過去に興味を持つ。しかしその過去が過去なのでそういった物好きな人間とも長期の関係を築くのにはいたらない。彼ら側からすれば「踏み込んじゃいけない領域だよね」という配慮、もしくはつかみどころのない得体のしれなさから一歩距離感を置かれるが、これが呪いを負った人間からするとああ自分は信頼されていないんだと映る。人によってはそれなりに交友関係を持つけれど、深い付き合いにはならない。「こんな奴がいてさぁ、」と誰かの話題の種にはなるけれど、長年の付き合いというようにはならない。
そういう人間は自然と集まるのか、身近に呪いを負った人間が何人かいる。現在進行形で呪いに悩んでいる者もいれば、それを受け入れている(ように見えているだけで本当は悩んでいるのかもしれないけれど)者もいる。呪いと対峙してなんとかしようとしている人もすごいし、呪いを受け止め飲み下している人もすごい。それぞれに呪いと和解しようとしている。
一方自分は人から「踏み込んじゃいけないよね」なんて思われる前に自分から喋るようにしたらそれはそれでなんかやばい奴だと思われるようになってしまった。つらい思春期を送った人間はそれだけで信頼されなくなってしまうとすら思ってしまう。でも言ってしまえば「自分は変なアダ名をつけられるような生き物です」とアピールしているわけなので仕方ないのかもしれない。
自分は呪いと和解できているんだろうか。正直言ってあまり和解しきれている自信はない。自分の場合、和解というよりかは見ないふりをしているだけにも思える。その代わりというにはおこがましいかもしれないけれど、身近にいる呪いを背負った人々と少しずつ仲良くなろうとしている。他人からあまり信頼されないつらさを少しはわかっているつもりだし、自分だって長いこと友達がいなかったから仲良く話をしたりできるのはうれしい。もちろん信頼だってしてるぞ。というかむしろこれもある種の和解なんじゃないかとすら思えてきた。友達のできなかった、影でツタヤとか呼ばれてきた過去との和解だ。ずっと人と仲良くなりたかったんだ。エスオーエスの向こうに救命はないと知っていたって精々生きていこうぜ。
