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BAROQUE
2017.09.01 Friday 02:01 | 小説
今日は回収日だった。
台所のシンクに置きっぱなしのざる、その中の鱗が砥いだ米粒のように光っている。僕はそれを適当な袋に詰めて家を出た。低血圧の姉はまだ起きてこない。多少音を立てたところで彼女が起きるなんてことはないのだろうけれど、僕は気を使って戸を閉めた。
自転車を駆って坂を降りたところにある回収所にまっすぐ向かう。自動ドアが開いた瞬間に漏れ出る冷気に汗が冷やされて心地良い。坂を下る風は気持ちよかったが、クーラーのそれには勝てない。受付で鱗を手渡し現金を受け取った。
台所のシンクに置きっぱなしのざる、その中の鱗が砥いだ米粒のように光っている。僕はそれを適当な袋に詰めて家を出た。低血圧の姉はまだ起きてこない。多少音を立てたところで彼女が起きるなんてことはないのだろうけれど、僕は気を使って戸を閉めた。
自転車を駆って坂を降りたところにある回収所にまっすぐ向かう。自動ドアが開いた瞬間に漏れ出る冷気に汗が冷やされて心地良い。坂を下る風は気持ちよかったが、クーラーのそれには勝てない。受付で鱗を手渡し現金を受け取った。
「いつもながら綺麗ね」
「ありがとうございます、姉に伝えておきます」
回収所のおばさんは手元のサイズ表と見比べて鱗の大きさと輝きを見ているようだった。かちゃり、かちり、と鱗が分別されていく。
「最近は洗ってもくれない人が多くてね」
僕は昨晩の姉が米砥ぎざるで鱗を洗う姿を思い出した。そんな丁寧に扱っているわけではないんですよ、とも言えず僕は複雑な表情をした。
***
それまで姉の爪や鱗などは普通ゴミとして処分していた。確かに彼女の爪はしなやかで固く鋭く、鱗は油膜を引いたような淡い虹色をしていて美しかったが、姉にとっては老廃物でしかなかった。そりゃそうだ。だから僕らはなにも悪いことをしているつもりもないまま過ごし、ある日突然役所の人たちがやってきてしこたま叱られたのだった。
「だからね、お姉さんの爪や鱗にはあなたが思っているよりも何倍も価値があるわけよ」
「はあ」
スーツをかっちりと着込んだ役所の人は懐から取り出したハンカチで額の汗を拭きながら僕を詰める。今日は特に暑い。もうそろそろクールビスを始めていてもいいものだろうに。
曰く、彼女らのような竜の爪や鱗には宝飾や漢方、工業製品、その他幅広い分野において需要があるのだという。だからそうやってゴミみたいに捨てられると非常に困る。そういう油断した家庭のゴミ袋を漁って回収したりする質の悪い業者も現れ始める始末なのだ。たちの悪い業者が増えれば市場価格が崩壊して竜資源業界が立ち行かなくなってしまう。
と、だいたいそんなようなことを言った。
曰く、彼女らのような竜の爪や鱗には宝飾や漢方、工業製品、その他幅広い分野において需要があるのだという。だからそうやってゴミみたいに捨てられると非常に困る。そういう油断した家庭のゴミ袋を漁って回収したりする質の悪い業者も現れ始める始末なのだ。たちの悪い業者が増えれば市場価格が崩壊して竜資源業界が立ち行かなくなってしまう。
と、だいたいそんなようなことを言った。
「最近は健康食品にも使われたりしてね。ほら、あなたも見たことがあるでしょう。テレビのCMとか、」
「すみません、うちテレビないんで…」
これ以上続けても面倒なだけだったので、適当なところで切り上げてもらった。受け取った役所のパンフレットに目をやる。そこにはこうした爪や鱗(竜由来資源というらしい)の回収場所や日付、回収できるものやできないものの説明などがつらつらと書いてあった。その名の通り資源回収ゴミみたいだな、と思って少し笑いそうになる。竜資源業界だってさ。
「宝飾ならまだしも、健康食品って」
竜の名が泣くからやめてほしいんだけど、と遅い朝食を食べながら姉が言った。朝の顛末を話して、これから市のルールに従って回収してもらわないといけないね、ということは理解してくれたが、やはりその利用手段には納得がいかないようだった。
「そもそも竜の爪や鱗に延命効果なんて一切ないのにね」
穏やかな口ぶりではあったが、表情は冷たげだった。ざくり、とスプーンがコーンフレークを掬った。
姉は昔、かつての交際相手を亡くしている。病にかかり、医者にも見放されたその人をどうにか救おうと半狂乱になった彼女は全身の鱗を引きちぎり煎じて飲ませた。「竜の鱗は万病に効く」なんて話は広く出回っていたけれど、当の彼女は唾棄していたはずだった。
そしてもちろんなんの効果もなく、そのまま死んでしまった。
葬儀のあと姉は一晩中泣き続け、それから自室に引きこもった。物音がしなくなって見かねた僕が部屋を覗くと、彼女は真珠の海の中崩れ落ちるようにして眠っていた。竜の涙は真珠状になることをすっかり忘れていた。目を覚ました姉があっけにとられる僕を視線に捉えて、あー、どうしよっか、と言った。1週間ぶりの会話だった。
そしてもちろんなんの効果もなく、そのまま死んでしまった。
葬儀のあと姉は一晩中泣き続け、それから自室に引きこもった。物音がしなくなって見かねた僕が部屋を覗くと、彼女は真珠の海の中崩れ落ちるようにして眠っていた。竜の涙は真珠状になることをすっかり忘れていた。目を覚ました姉があっけにとられる僕を視線に捉えて、あー、どうしよっか、と言った。1週間ぶりの会話だった。
結局あの涙は宝飾店に引き取ってもらった。
それまで爪や鱗は気にせず捨てていたけれど、ゴミ袋いっぱいの真珠をゴミ捨て場に置いておくのはさすがに躊躇する。形が歪なのと大きさがまちまちだったのとでひとつひとつの値はそこまでだったが、いかんせん量が量なので結構な金額になったのだった。
皮肉にも大金を手に入れてしまった僕たちだけれど、お金の使い方をよく知らないので生活に必要なだけ引き出して、残りは未だに手付かずのままだ。
それまで爪や鱗は気にせず捨てていたけれど、ゴミ袋いっぱいの真珠をゴミ捨て場に置いておくのはさすがに躊躇する。形が歪なのと大きさがまちまちだったのとでひとつひとつの値はそこまでだったが、いかんせん量が量なので結構な金額になったのだった。
皮肉にも大金を手に入れてしまった僕たちだけれど、お金の使い方をよく知らないので生活に必要なだけ引き出して、残りは未だに手付かずのままだ。
「生きてるだけで丸儲けだ」
帰り道で姉がへらへら笑いながら言った。冗談で言っているのか自虐を言っているのかよくわからなかったが、多分両方だろう。姉は自虐をなにか面白い冗談だと思っている節がある。僕を元気づけようと軽口を叩いたつもりらしい。
僕もつられて笑った。あんまり笑い事ではなかった。
僕もつられて笑った。あんまり笑い事ではなかった。
***
回収所からスーパーをはしごする。食料品と日用品を受け取ったばかりの現金で支払ってスーパーを出ると、家を出たばかりの頃はまだ低い位置にあった太陽が真上にまで昇っていた。冷やされた体を溶かす陽射しは最初こそ穏やかなものであったが、すぐに汗が吹き出しはじめる。わずかな涼を求めるように自転車を漕いで坂を登る。ただただ暑い!
「おかえり」
家に着き、自転車のスタンドを立てる音で僕に気付いた姉が窓から声をかける。いくらで買い取ってもらえたよ、と金額を伝えて買い物かばんを手渡した。なんとなくだけど、売れたという表現は使いたくなかった。
竜は財宝を蓄えた番人として退治される時代を経て、宝石で身を飾る美しい狩猟対象として狩られる時代を経て、いまでは決まった日にゴミを捨てに行くように老廃物と小銭を交換するようになった。確かに使う当てのない現金を蓄えているし、鱗の輝きは燃えるようなゆらめきを見せ、美しい。
姉はまごうことなく竜であった。
彼女は食料品を棚にしまいながら、歴史の勉強でもしようか、と言った。袋の底からアイスの箱を見つけて嬉しそうに1本取りだす。
竜は財宝を蓄えた番人として退治される時代を経て、宝石で身を飾る美しい狩猟対象として狩られる時代を経て、いまでは決まった日にゴミを捨てに行くように老廃物と小銭を交換するようになった。確かに使う当てのない現金を蓄えているし、鱗の輝きは燃えるようなゆらめきを見せ、美しい。
姉はまごうことなく竜であった。
彼女は食料品を棚にしまいながら、歴史の勉強でもしようか、と言った。袋の底からアイスの箱を見つけて嬉しそうに1本取りだす。
「かつて竜は人類の敵であった。しかしいまでは人類の友人として共にある。それはなぜか?」
姉は偉そうな教授のような口調で言った。考える僕を眺めながらアイスを食べている。なんてことはない、普通のミルクバーだ。
「なぜなら竜と人間とではコミュニケーションを取ることができなかったからだ。暴力をもって対話するより他はなかった」
むしろ対話ができないほうが都合がよかった。意思を持ち対話が可能な存在を武力で打ちのめし財宝を奪っていくなんて、まるで人間が悪者みたいじゃないか。なんでもないような顔をして、姉は続ける。
「このままだと全員殺されてしまう。困った竜は対抗策として人間と対話できるように努めた。声の周波数を人間に合わせてやったのだ」
人間と直接交渉し、互いに譲歩しあい(そもそも始まりは人間が一方的に殴ってきたのだから竜側に譲歩するようなことなどなかったのだが)、住み分けを行った。誇り高い一部は小さな生き物に屈する訳にはいかないと抵抗したが、みんな綺麗な首飾りや高級料亭のおろし金などになった。
竜たちは丁寧に牙を研がれ角を丸められ、資源を提供してもらう存在として人間社会に招かれた。結果として孤高なる財宝の番人は人間の豊かな暮らしの要素として組み込まれてしまった。
そうして彼女はアイスを食べ終える。
竜たちは丁寧に牙を研がれ角を丸められ、資源を提供してもらう存在として人間社会に招かれた。結果として孤高なる財宝の番人は人間の豊かな暮らしの要素として組み込まれてしまった。
そうして彼女はアイスを食べ終える。
「生きた鉱山みたいな扱いだね」
「わはは、言い得て妙」
アイスの棒を受け取ってゴミ箱に捨てた。僕も自分の分のアイスを取り出して食べ始める。今日の夕飯当番は姉だから、僕が今日やる仕事は終わり。アイスの冷たさが歯を伝って頭まで響くのを感じながら、先程の授業を思い返す。
竜には元々人間など優に蹴散らしてしまえるほどの力があった。そのために知恵を絞り徒党を組んだ人間によって巧みに狩られるようになってしまったし、また一方で力があったおかげでその後の交渉においても対等に渡り合うことができた。それならば、もし竜に力がなかったなら? 頭蓋を噛み砕く牙が、全てを薙ぎ払う尾が、多くの獣を従える魂が、もしもなかったのなら。
僕は想像する。
大きな檻の中の寝床に姉が眠っている。僕によく似た男が檻を開けて中に入る。姉は目覚めない。男が散らばった鱗を拾う。油膜を引いたような淡い虹色。転がる歪な真珠。
男が作業を終え檻を閉める音で目を覚ました姉が、立ち去る男の背中を見ている。
その口がなにかを囁いたような気がしたが、僕には何も聞こえなかった。
アイスの棒を受け取ってゴミ箱に捨てた。僕も自分の分のアイスを取り出して食べ始める。今日の夕飯当番は姉だから、僕が今日やる仕事は終わり。アイスの冷たさが歯を伝って頭まで響くのを感じながら、先程の授業を思い返す。
竜には元々人間など優に蹴散らしてしまえるほどの力があった。そのために知恵を絞り徒党を組んだ人間によって巧みに狩られるようになってしまったし、また一方で力があったおかげでその後の交渉においても対等に渡り合うことができた。それならば、もし竜に力がなかったなら? 頭蓋を噛み砕く牙が、全てを薙ぎ払う尾が、多くの獣を従える魂が、もしもなかったのなら。
僕は想像する。
大きな檻の中の寝床に姉が眠っている。僕によく似た男が檻を開けて中に入る。姉は目覚めない。男が散らばった鱗を拾う。油膜を引いたような淡い虹色。転がる歪な真珠。
男が作業を終え檻を閉める音で目を覚ました姉が、立ち去る男の背中を見ている。
その口がなにかを囁いたような気がしたが、僕には何も聞こえなかった。
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