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2月12日
2015.02.13 Friday 02:14 | 日記
コンタクトレンズをつけようとして大変な目に遭った。左目のほうが反射がきつく、コンタクトレンズの端でも触れようものなら速攻でまぶたを閉じてしまう。どんなにこじ開けていてもだ。ここまでひどいと時計じかけのオレンジめいた機械が必要だと思う。今日はそんなこんなでべそかきながら必死でコンタクトレンズをつけたと思ったら左右を間違えていた。つけた瞬間に感じる強烈な違和感。度のきつい眼鏡をかけたときの感覚が片目だけに起きて思わず、ウ、ウワーーッ、と言った。あんなにつらい思いをしてつけた左目のレンズを外して液に浸し、右目のレンズも外そうとしたのだけど外れない。目ばかりが痛い。おかしいなと思ってしっかり見ると元々レンズが入っていなかった。ズコーッ。道理ですぐに馴染んだと思ったよ! 落ちていたレンズを拾い入念に洗って左目に入れようとしたけど案の定ひどい拒絶を受けて下まぶたの中に潜り込んでしまった。下まぶたに潜り込んでしまうのは以前コンタクトレンズをつけているときにもあったので冷静に対処できたけど、これがもし初めてだったら完全にパニックを起こしてしまったと思う。もうあのレンズは使えないかもしれないな。2週間用なのに。まだ5日目なのに(昨日おとといはつけていなかったので実際につけている日数は3日だけど)。
それで仕方ないので右目だけつけていったらそれはそれで3D酔いのような症状が出てもう踏んだり蹴ったりだった。自分は利き目が左なので度の調節も左のほうが若干良い状態になるようにしてもらったのだけど、左のレンズをつけなかったので右の視力のほうが良いという奇妙な状況になってしまった。左目でピントを合わせたのに、補助で使う右目のほうがクリアに見えるのでそちらでまたピントを合わせようとして、でもいつも通りの癖で再び左目でピントを合わせ直して、を繰り返すのだ。本当に気持ち悪くなって頭痛もするしすぐに三半規管がぐちゃぐちゃになった。しばらく経ったら慣れたけれど本当に地獄だった。左目のレンズ本当にどうしようなあ。きっかり1ヶ月分しかないので次のを開けてしまうとまたコンタクトレンズ屋に取りに行かないといけない。絶対にめんどくさい! でも目のことを考えるとなあ…。
このところ楽しいことが多かったので、たまにこういうつらい目に遭ってバランスを取るのだ。自分は手放しで幸せにはなれないと思っていて、楽しいことがずっと続くとは考えられない頭をしている。楽しいことがあったぶん痛い目を見て、浮かれすぎないように世の中はあると思っている。実際、楽しいことがあって浮かれているとなんらかのミスをしやすくなるし、そのミスが積み重なってつらい目を引っ張ってくる。なので起こるべくして起こるつらい目なのだ。しかし自分が原因にあるつらい目は楽しいことがなくてもそんなに後を引くようなつらさではない。むしろ自分に原因がないまったくの理不尽のほうが罰(この場合読みはバチです)感があって楽しさに対する見返りという感じはする。とはいえどんなに理不尽でつらいことがあっても「まああれだけ楽しい思いをしたんだもんな、仕方ない」と思うことができるので楽といえば楽。楽というよりは諦めに近いような気もするな。そのため理不尽に対して憤る気持ちもあまり起きない。そう思うとあまり期待ということをすることもなくなったな。楽しいことを期待してもどうせセットでつらい目がやってくるとわかっているので期待もしなくなった。諦めが早い人生だった。
それで仕方ないので右目だけつけていったらそれはそれで3D酔いのような症状が出てもう踏んだり蹴ったりだった。自分は利き目が左なので度の調節も左のほうが若干良い状態になるようにしてもらったのだけど、左のレンズをつけなかったので右の視力のほうが良いという奇妙な状況になってしまった。左目でピントを合わせたのに、補助で使う右目のほうがクリアに見えるのでそちらでまたピントを合わせようとして、でもいつも通りの癖で再び左目でピントを合わせ直して、を繰り返すのだ。本当に気持ち悪くなって頭痛もするしすぐに三半規管がぐちゃぐちゃになった。しばらく経ったら慣れたけれど本当に地獄だった。左目のレンズ本当にどうしようなあ。きっかり1ヶ月分しかないので次のを開けてしまうとまたコンタクトレンズ屋に取りに行かないといけない。絶対にめんどくさい! でも目のことを考えるとなあ…。
このところ楽しいことが多かったので、たまにこういうつらい目に遭ってバランスを取るのだ。自分は手放しで幸せにはなれないと思っていて、楽しいことがずっと続くとは考えられない頭をしている。楽しいことがあったぶん痛い目を見て、浮かれすぎないように世の中はあると思っている。実際、楽しいことがあって浮かれているとなんらかのミスをしやすくなるし、そのミスが積み重なってつらい目を引っ張ってくる。なので起こるべくして起こるつらい目なのだ。しかし自分が原因にあるつらい目は楽しいことがなくてもそんなに後を引くようなつらさではない。むしろ自分に原因がないまったくの理不尽のほうが罰(この場合読みはバチです)感があって楽しさに対する見返りという感じはする。とはいえどんなに理不尽でつらいことがあっても「まああれだけ楽しい思いをしたんだもんな、仕方ない」と思うことができるので楽といえば楽。楽というよりは諦めに近いような気もするな。そのため理不尽に対して憤る気持ちもあまり起きない。そう思うとあまり期待ということをすることもなくなったな。楽しいことを期待してもどうせセットでつらい目がやってくるとわかっているので期待もしなくなった。諦めが早い人生だった。
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