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1月14日

わからないことをその場で聞き返すという作業、最近やっと身についてきたみたいでよかった。一度聞いただけでは絶対になにかしらやらかすのでその場で復唱してわからないところを聞き返す。聞いたら答えてもらえると学んだので安心して聞ける。というより、そういった点で散々やらかしてきたので周りの人たちから「あとからまたやり直させるよりいまちゃんと確認させておいたほうが楽だな」という認知をされるようになった、と言ったほうが正しいかもしれない。そういうわけで今朝寝起きに「鍋に親子丼の具だけあるから沸かして卵2個入れなさい」と言われたことに対し、寝ぼけ頭でも「卵を、2個、だしが沸いてから入れる?」と聞き返すことができた。成長だ。頭の出来が悪い分、人より頑張らないといけない。頑張ってやっと人並みなのだ。親子丼はおいしかった。

まだまだみかんの箱売りを買うお客さんがいる。商品の性質上(みかんが腐りやすいということをそれっぽく言いました)、中が傷んでないか確認する必要があるんだけど、もうこの時期はどの箱を開けても草餅みたいに真緑になったみかんがもうもうとカビの胞子煙をあげながら鎮座している。1箱に2、3個カビきったみかんがあることはザラで、そういう箱は開けた途端に煙が立つ。そうなるともうどうしようもないので新しいものと取り替える必要があるんだけど、今日はそういう作業に追われていた。勘弁してほしい。

好きな歌を聴いていたら「念仏みたいな歌」と言われて激昂して強い言葉を使ってしまった。「それは言いすぎだ」と言われ、確かにそうだ、と反省していたら涙が出てきた。またやってしまった。相手は馬鹿にするつもりで言ったわけじゃないし、ただ思ったことを口にしただけなのだろうけど、それをド直球に受け取って本気で言い返してしまった。これは昔からそうで、好きなものを馬鹿にされたと思うとすぐ感情的になってしまう。そして「人が心から好きだと思っているものに対してなんでそんなことが言えるんだ」と思い悲しくなって涙が出る。でも相手はけなすつもりで言ったわけじゃないからなんで自分がこんなに感情的になるのかわからないだろうし、結果的に不愉快な気分にしてしまう。自分が我慢できればなにも起きずに済んだところがお互いに不幸になる。

これはおそらく、自分自身に確固たるアイデンティティがないため、自分の好きなものを継ぎ接いで自己を形成していることが原因にあると思われる。だから自身のことを馬鹿にされてもなんにも思わないかわりに、自分が好きなものを馬鹿にされると自身が馬鹿にされたように受け取って怒りを感じてしまうのだろう。基本的に「自分にはなにもない、周りより劣っている」と思っているから、自身のことを馬鹿にされてもそりゃ当然だとなる。でもそれが好きな/尊敬している/敬愛している/慕っているものに対してのそしりになると、どうしてこんなに素晴らしいものに対してそんなことが言えるんだ、と思ってしまう。それが敏感すぎるせいで別に中傷のつもりのない、ただのささいな茶化しや他愛のない感想すらも悪意だと変換してしまい、攻撃されている! と判断してしまうのだ。インターネットの言葉を使えば、好きなものに対しての煽り耐性がない。本当に子供みたいだ。いい歳してこんなことで怒ったり泣いたりするの情けない。

まるで宗教かなにかみたいだと思う。なのでものを褒めるときに「神だ」という表現を使うことを易々とからかったり、「○○信者」と言い捨てることができない。自分も同じような思考回路をしているのだ。自分は特定の宗教を信仰しているわけではないけれど、好きなものに執心しているときの心酔具合は正直言って宗教のそれに近いのだろうと感じている。いまニュースでは宗教に絡んだそういう感じの話題が盛りだけれど、それの極々小規模なことが起きかねない。

また、「嫌いな人間に対しては好きなもののことを伏せる」という話もこういうことに絡んでくると思う。相手の好きなものを中傷すれば相手を攻撃することができる。そうなると好きなものとは弱みであり、それを知らせないということは相手に弱みを握らせないことにつながる。そうなっていくとどんどんコミュニティが内へ内へと潜っていく。普通の場合なら軽く流せるところを真に受け取るような人間がコミュニティを内輪にしていくんじゃないだろうか。グッと我慢できないからこういうことになるんだ。内省すべきだ。

同じように好きになれ、信仰しろと強く押し薦めることはもうしないけれど(かつてそういうことをして大失敗したことがあるので)、目の前であるものを好きだと言っている人間に対してそれを馬鹿にするようなことを平気で言える精神性はやはり疑ってしまう。でも自分も人に対して同じことをしているんじゃないかと思いはじめるともうなにも喋らないほうがいいのかもしれないな。かといってそうなるとまたコミュニケーション障害者に戻ってしまう。せっかく最近リハビリの成果が出てきたのに。でもまずは少なくとも「多少の揶揄に対して本気で捉えない」ということを頑張ったほうがいいな。頑張ります。この話終わり。

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