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3月20日

ドキッ、線香まみれの名古屋散策大会(屋敷もあるヨ!)だった。これは数カ月前に自分が突如「霊園行きたい!」となって話を持ちかけたのが最初で、いつも遊んでくれる後輩たちを誘ったところ二つ返事で了承してもらい、墓だけ見るのもなんだしついでに名古屋の行ったことのない街を歩こうとなったのだった。八事霊園と覚王山周辺をうろついた。霊園はつまりでかい墓地なのだけど、もちろん墓しかない。墓しかないというのもスケールが違い、視界いっぱいに墓である。墓以外のものが見えない。右を見ても左を見ても墓。すごい光景だった。特に参るでもなくさくさくと散策をするだけだったので変な連中のように見えたかもしれない。どう見ても親類には見えない4人組が墓石と墓石の間を歩いていく。墓地で楽しいのはいろんな家紋や苗字を見ることができるというところもあると思う。クジャクのような家紋が今日1のかっこよさだった。あとチョウの家紋。生き物がモチーフの家紋はかっこいいね。桜が咲いてからも見に行きたいなあ、綺麗だろうなあ。その後興正寺に向かう。翌日の21日だったら縁日があって賑やかだったかもしれないけど、自分は初めて来るところだったので初回でもみくちゃにされるのも…、という気持ちがあり静かな前日でよかった。その日は「終活セミナー」という催しが開かれていた(別に覗いてはいないです)。最近のお寺はハイテク化が進んでいるようで、お堂に向かう途中の階段のそばにエスカレーターが設置してあった。確かにメインユーザーはご年配の方々が多いわけだしね…。あと灯籠や屋根の上に太陽光パネルが設置してあったりして、なんというか、和風モダンだ(類語:コンピューターおばあちゃん)。情緒は吹き飛ぶけど、こういうの自分は割と好きなのでどんどんハイテクしていってほしい。サイバーお仏壇の時代だ。

その足で覚王山に行く。覚王山、名前だけ知っているだけでなんだかサブカルの根城らしい、というイメージのまま行くこともないのもなんだよなー、と思い行くことにした。ここにも日泰寺というお寺があるので行った。タイから送られてきた仏舎利を納めている日本唯一の寺院ということで、「日本とタイとの間の日泰寺(にったいじ)ねえ、偶然っていうのもあるもんだ」と思っていたら本当にタイからとって日泰寺と説明があってズコーとなった。ダジャレだ! 大の大人が真面目な顔で言うダジャレ大好き! 興正寺にも大きな五重塔があったが(興正寺のはその目の前に大きなおニューの仏像が建っていて、ちょっと邪魔なのでは…、と思ったけど)、日泰寺にもある。あとおみくじがガチャガチャのカプセルに入っていて、確かに合理的だけど、なんかこう…あるだろ…。1度お昼を食べに戻り、お好み焼きを食べた。途中でアジア・アフリカのお店(あのいつもなにかしらのお香の匂いがするお店です)に行って、他の品物には目もくれずひたすら楽器を物色していた。あの手の店はアジアとアフリカと南米をごっちゃに取り扱っているからあのへんの文化の認識もごっちゃになってしまう。アルパカはアジアにはいないことを忘れる。まあ覚えていたところでどうというわけはないのだけど…。シタールって高いんだねえ。

揚輝荘という建物を見にいく。松坂屋創始者の別荘ということで、さぞ豪勢なお家なのでしょう、と思って見に行ったところ、想像以上にお金と手間暇をかけて建てられた家だった。湯水ハウスだ! まず北園(タダで見学できるところ)を見る。当時流行りだったのであろう和洋折衷様式の建物、その名も伴華楼。読みは「ばんがろう」。もちろんバンガローのもじりである。ヤッター! 大の大人が真面目な顔してダジャレ! お座敷に洋室を組み合わせて建てたらしい。揚輝荘という名は漢文が元ネタで、大体は「月が昇って綺麗だよ」みたいな意味なのだけど、昔からこの辺りは月見の名所だったというところから持ってきているらしい。なるほど、建物の中でうさぎが餅を搗くレリーフなどを見つけた。そして南園(こちらは入場料のかかるところ)も入る。聴松閣という迎賓館の中が見学できる。山小屋風の外装をしており、室内の木材にもいかにも使い込んで年季の入った木材のように見えるような加工を施してある。建材にはクリの木を使っており、それに彫り込みや叩き込んで加工をしてあるのだから、相当大変だっただろうな…しかもこの建物中…。2階の部屋は当然(当然!)全部屋異なった意匠だった。例えばイギリス風の応接室だとか、中華風の寝室だとか。外国を知っているアピール! そんな外国を知っているアピールの最たるものが地下の舞踏場で、一面のインド様式。その松坂屋創始者の人がインド旅行に行って衝撃を受けたのでもうすでに設計図が決まっていた地下階の一切合財を作り直させたという。よく「インド行って価値観変わったわ!」みたいなこと言う人間いるけど、そういうのの究極形態だ。お金と力があるとインド旅行の経験で総インド様式の舞踏場ができる。恐ろしい。そしてなぜかかなり豪勢に飾り立てた地下トンネルへの入り口もある。なんのために作られていたのかはいまいちよく分かっていないらしいけど、でもかなりわくわくする感じだった。建物の中に突如現れる廃墟いい…。しかし別荘で1万坪だというのだからスケールが違いすぎる。お金持ちの考えることはよくわからない。

その後はハードオフに寄ったり夕飯を食べて帰宅。前日の雨が早くにやんだおかげで道も乾いていてよく晴れたいい日だった。急に暖かくなったので着る服がなくて困ったけど、暖かいことは別に悪いことではない。というか、昼前は少し暑すぎたぐらいだ。20度ぐらいあったんだってね。ついこの前まで寒さに震えていたのに。桜のつぼみもふくらんでいて、だんだん春めいてきたなあ。ハクモクレンもちらほら見かけた。あともうモンキチョウが飛んでいたし、春、少し駆け足すぎるのでは。啓蟄〜。帰ってきてから貸してもらった三崎亜記の「失われた町」を少しだけ読んだ。お、おもしろい…。夕飯を食べてから風呂に入るまでの間の時間(いまはとりあえずコーヒー片手にPCでぼんやりとインターネットを泳いでいる時間として使っている)からどうにかうまいこと読書の時間を捻出できるといいと思う。この時間、油断していると3時間とか余裕で経っているので、ちゃんとコントロールしないといけないぞ…。ウーン真人間…真人間…。

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