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3月10日

がくんと寒い。我慢できない寒さではないけど、身にしむ寒さだ…。いや身にしむは秋の季語だな。引き続きおとなが育つ条件を読んでいる。が、章の話題が結婚生活/夫婦間のコミュニケーションであり、自分自身が経験していないことなので「そうなのか…」という気持ちで読んでいる。ためになることはためになる。実際、先に読んでいた父にとっては身につまされる内容であったらしく感心して読んでいた。一方で『親密性とは、自分を犠牲にしたり裏切ったりしたりせず、相手を変えたり説得しようという要求を抱かずに相手のその人らしさを承認し合える、そして双方に益となっている関係』(p.82)という1文を読むことができたというだけでもこの本を読んでよかったという気持ちがある。その定義によるならば、自分はいままで親密性の高い関係を築けたことないかもしれないとすら思う。振り返ってみれば、母数としては少ないにせよ、自分なりに親密な関係を築いてきたいくつかの交友関係においては「(意識的/無意識に関わらず)ある程度の諍いは自分が我慢すればいい」という考えを持って行動してきた節がある。「これだけ言われたら自分だって相手に言いたいこともあるが、ここでなにか反論せず黙っていれば面倒事にはならないだろう」という逃げの防衛本能、自己評価の低さに基づいた「自分は反論ができるほど人間ができていないのでこれらの指摘は当然だ」という正当化など理由はいろいろ考えられる。目先の面倒事を避けることにせいいっぱいで、最終的に己のキャパシティを超えてしまう。もちろん多くの指摘は自分の不精さからくるものであり、今後も他者と仲良くしていきたいのならば努めて直していかなければならないところだったのだけど、そういった指摘の中にはいまから考えれば単なる理不尽のように思えることもあったようにも思える。至らないところは直していくべきだけれど、全部が全部相手に言われた通りに変わっていくのではそれは対等な関係ではないのだろう。それは角を矯めるようなものだ。しかし一方で染み付いた習慣(多くの場合悪癖)や思考パターンは他人から指摘されでもしないと自分では気づきにくいものであり、また悪いところを指摘をしてもらえる間柄というものは年を経るごとに貴重になっていく。要は1か0かではなく、必要な指摘は飲み、理不尽はうまいこといなしていけるのが最善なのだろう。好きなゲームの台詞に「キマジメに人の言いなりにならなくていいんだぜ、気楽に生きていこうぜ」というものもある。その見分け方がわかっていればこんな苦労なんてしてないんだけどな! とにかく引き続き読んでいく。
最後のチーズケーキを食べた。最後までおいしかった…。またなにか作りたいな。なにより準備したのは自分だけど、2日や3日も経てば「ワア、なんか冷蔵庫にケーキがあるぞ!」と作ったことを忘れて素直にラッキーと思って食べるようになるのでいい。自分は秋に埋めたどんぐりを忘れるリスだ。次はなににしようかな…、今度は焼いてもいいかもしれないぞ。難しくないやつがいい。昨日衝動的にCDをもりもり注文したので明日ぐらいには届くと思う。ここ最近出たCDをまとめて買った。楽しみ。でもしばらくは雨のパレードばかり聴いているかもしれない。本当にすごいアルバムだぞこれは。ドキドキする…。ずるいなあ、素敵だ…。でも限りなく透明な果実もいい…ハア…バズマザーズも…。世の中にはかっこいい曲ばかりあるな!

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