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12月8日
2014.12.09 Tuesday 02:04 | 日記
二度寝三度寝ぐらいして遅めの朝食というか早めの昼食を食べた。溜まっていたアニメを観る。サイコパスがどんどん大詰めに向かっているね。「朱ちゃんさん(となにやら不穏な東金さん)←vs→鹿矛囲くん」という構図が「朱ちゃんさんvs→鹿矛囲くんvs→東金さん(というか東金財団)」という感じになってきた。説明が下手だな。公安局の水面下でなんか不穏な動きがあるなあと思っていたらそもそも公安局そのものがやばくって、そのやばさを知っているのが鹿矛囲くん側で、結局ラスボスはまたシヴュラシステムなのかよ! といった感じ。っていうか公式サイトに歴史が載ってるんだね。日記を書き終わったらちゃんと読もう。あとはアイカツとビルドファイターズトライも観たよ。
出かけるともう寒いしか言わない。言わないっていうか、今日はあんまり口を使って喋らなかったので心のなかで寒い寒いと言っていた。ひとり言って多い日と少ない日とある。今日は少ない日。今日初めて口を使って喋ったときに声が枯れていると気がついて、ア! 風邪気味だ! とわかった。マスクをつけて出かけていてよかった。マスクは防寒具としてつけていたもので、結果としてよかった。帰り道では完全に防寒具として役目を果たしていた。あまり咳が出るタイプの風邪を引かないし、そもそも基本的にあまり風邪を引かない人間なのでマスクをつけない。それに予防的にマスクを付ける習慣もないのだ。というか「風邪予防」という概念が頭にない。風邪のハードルが高いのでちょっとやそっとのことじゃ風邪と判断しないところもあるかもしれない。なんだかだるい気がする、と思っているうちに勝手に治っているので「あれは別に風邪じゃなかった」と判断する。自分の風邪のハードルは熱が出始めたら完全な風邪だ。のどが痛い・洟が出るは風邪気味だ。そういう感じなので今日は風邪気味だった。
いしいしんじの『東京夜話』と『ぶらんこ乗り』を読み終わった。『東京夜話』は短編なのでえらく時間がかかった。隙間隙間で読めるということは、すぐ話と話の間になにかほかごとを挟んでしまう。それでそのほかごとに夢中になってしまうのだ。間違いなくこれは自分の悪い癖だ。いまは携帯端末のゲームがその役を果たしており、それぞれをやっていると次の話を読むのがまた後日になってしまう。だめだなあ。「借り物の本だぞ! お前の本じゃないんだぞ!」と頭のなかの賢いうさぎが後ろ脚を踏み鳴らしながら怒っているんだけど、いかんせんうさぎだから後ろ脚を踏み鳴らすことしかできない。よしよしちょっと待っててね、と頭をなでておく。それでやっと今日読み終わったのだ。まあ普通に忙しかったのもあるんだけど。言い訳みたいだな、長いこと借りていてごめんなさいね。一方もう1冊借りていた『ぶらんこ乗り』は今日1日で読み終わった。1冊に1つの話が入っている本は入り込むと一気に読み終えることができる。こたつに埋まって読みながらしっかり泣いてしまったのだけど、こたつの反対側には母がいたので泣いているのを気付かれやしないか少し恥ずかしかった。元々風邪気味で鼻をすすっていたのでバレてはいないと思う。その代わりに「風邪薬飲みなさい」とは言われた。ちゃんと飲んだ。
『東京夜話』は東京の街を題材にした小話をたくさんまとめた本だ。たまに作者自身をモデルにしたような主人公が出てくる。普通に歩いているのでは見えないような街の別の側面を、犬やホームレスやカラスなどの目線から書いているようなそんな感じがした。自分は東京の街を歩いたことがないのでなんとなくのイメージでしか見ることができないのが少しもったいない気がする。この本のあとがきに『いしいしんじは、「流れ」というものに対する独特の感覚をもっている。』とあった。あるある、それ自分も感じてた! となってうれしかった。以前の日記で書いたけれど、この人の書く「水」は本当に生命を持っているような感じがするのだ。『ぶらんこ乗り』にも川が出てくる。涙を流すおばけの生まれ育ったくろいくろい川だ。不法投棄されたゴミやガラクタの沈んだ、生活排水の流れるどぶ川でさえ、生命と意思を持って流れている。それからミズグモが巣を作るのも池のなかだ。なんだか水の外と中で人間の介在できる/できないがはっきりと分けられているような感じもする。あの世とこの世の境というか、人間と人間にあらざるものとの境として使われているような、そんな感じもする。
そういうわけでどちらもとてもよい本だった。本当にありがとう。
出かけるともう寒いしか言わない。言わないっていうか、今日はあんまり口を使って喋らなかったので心のなかで寒い寒いと言っていた。ひとり言って多い日と少ない日とある。今日は少ない日。今日初めて口を使って喋ったときに声が枯れていると気がついて、ア! 風邪気味だ! とわかった。マスクをつけて出かけていてよかった。マスクは防寒具としてつけていたもので、結果としてよかった。帰り道では完全に防寒具として役目を果たしていた。あまり咳が出るタイプの風邪を引かないし、そもそも基本的にあまり風邪を引かない人間なのでマスクをつけない。それに予防的にマスクを付ける習慣もないのだ。というか「風邪予防」という概念が頭にない。風邪のハードルが高いのでちょっとやそっとのことじゃ風邪と判断しないところもあるかもしれない。なんだかだるい気がする、と思っているうちに勝手に治っているので「あれは別に風邪じゃなかった」と判断する。自分の風邪のハードルは熱が出始めたら完全な風邪だ。のどが痛い・洟が出るは風邪気味だ。そういう感じなので今日は風邪気味だった。
いしいしんじの『東京夜話』と『ぶらんこ乗り』を読み終わった。『東京夜話』は短編なのでえらく時間がかかった。隙間隙間で読めるということは、すぐ話と話の間になにかほかごとを挟んでしまう。それでそのほかごとに夢中になってしまうのだ。間違いなくこれは自分の悪い癖だ。いまは携帯端末のゲームがその役を果たしており、それぞれをやっていると次の話を読むのがまた後日になってしまう。だめだなあ。「借り物の本だぞ! お前の本じゃないんだぞ!」と頭のなかの賢いうさぎが後ろ脚を踏み鳴らしながら怒っているんだけど、いかんせんうさぎだから後ろ脚を踏み鳴らすことしかできない。よしよしちょっと待っててね、と頭をなでておく。それでやっと今日読み終わったのだ。まあ普通に忙しかったのもあるんだけど。言い訳みたいだな、長いこと借りていてごめんなさいね。一方もう1冊借りていた『ぶらんこ乗り』は今日1日で読み終わった。1冊に1つの話が入っている本は入り込むと一気に読み終えることができる。こたつに埋まって読みながらしっかり泣いてしまったのだけど、こたつの反対側には母がいたので泣いているのを気付かれやしないか少し恥ずかしかった。元々風邪気味で鼻をすすっていたのでバレてはいないと思う。その代わりに「風邪薬飲みなさい」とは言われた。ちゃんと飲んだ。
『東京夜話』は東京の街を題材にした小話をたくさんまとめた本だ。たまに作者自身をモデルにしたような主人公が出てくる。普通に歩いているのでは見えないような街の別の側面を、犬やホームレスやカラスなどの目線から書いているようなそんな感じがした。自分は東京の街を歩いたことがないのでなんとなくのイメージでしか見ることができないのが少しもったいない気がする。この本のあとがきに『いしいしんじは、「流れ」というものに対する独特の感覚をもっている。』とあった。あるある、それ自分も感じてた! となってうれしかった。以前の日記で書いたけれど、この人の書く「水」は本当に生命を持っているような感じがするのだ。『ぶらんこ乗り』にも川が出てくる。涙を流すおばけの生まれ育ったくろいくろい川だ。不法投棄されたゴミやガラクタの沈んだ、生活排水の流れるどぶ川でさえ、生命と意思を持って流れている。それからミズグモが巣を作るのも池のなかだ。なんだか水の外と中で人間の介在できる/できないがはっきりと分けられているような感じもする。あの世とこの世の境というか、人間と人間にあらざるものとの境として使われているような、そんな感じもする。
そういうわけでどちらもとてもよい本だった。本当にありがとう。
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