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2015.01.09 Friday 16:21 | 小説
今日は久しぶりに魔法を使った。魔法と言っても大したものではない。2階の窓を外から拭きたかったのだ。久しぶりにといっても、普段の生活で魔法を使うときというのがせいぜい高いところの掃除をするときぐらいだから例年並みといった感じ。まあ便利といえば便利だけど、やっぱり疲れるし。固く絞った雑巾を宙に浮かせ、2階の窓まで持っていく。そのまま少し力を加えて窓をこする。今年は黄砂が多かったから特に汚れがひどかった。一旦下ろして洗面所に戻って洗って、また窓まで飛ばす。2度水拭きをしてから乾いた布で拭き直した。これだけすれば十分だと思う。疲れるけど、これのおかげで脚立を買わずに済んでいるのだから文句も言うまい。掃除をしている間に郵便が届いたので受け取る。きりがいいところだったので片付けをしてお茶にした。
魔法でできることは基本的に自分でできる範囲内だけに限られる。でも「あとちょっと」を叶えるぐらいならできる。コツさえ掴めば50m走のタイムを少しだけ縮めることだって可能だ。先生にステッキを没収されないように気をつける必要があるけれど。それ以上のことをしようとするなら、それなりに難しい呪文を覚えないといけなくなる。重いものを持ち上げれば重いものを持ち上げた分だけの疲労がたまるし、なにもないところになにかを生み出すなんてことはできない。魔法も流行りだした頃はそれなりに参考書も出版され、英会話スクールみたいな感覚で魔法スクールなんてのも駅前にできていた(それを見て僕は「これが本当の魔法学校か〜」なんて思っていた)。だけど魔法の力が万能ではなく、思っていたより便利なことはできないとわかってからはみんな魔法に対しての興味を失ってしまった。魔法を覚えるより機械のスイッチを入れるほうが楽だと気付いてしまったのだ。頑張って呪文を覚えて炎を起こせたっていまじゃライターがあれば済む話だし、分厚い参考書を読むより数ページの取扱説明書で済むほうがいいに決まってる。なにより魔法でほうきを動かすぐらいなら掃除機を動かしたほうがよっぽど効率がいい。お稽古程度での魔法はどうにも燃費が悪い。最終的に魔法のレッスンなんてものは通信講座のカタログの片隅にいる習いごとという位置に収まった。遅すぎたのだ。人類が魔法を使えるようになるのを待たずに、科学はどんどん進歩していった。毎日の郵便物を無人ドローンが運んできてくれるし、ニュースでは最新型のロボットがどうのなどと言っているような世の中でいまどき魔法なんて覚えたがるのは暇人か変わり者だ。「その燃費の悪さがいいんだよ」と言ったタカハシさんのように。
タカハシさんは僕の近所に住んでいたおじさん? おにいさん?(彼らは見た目では年齢がよくわかりにくいし、結局いくつなのか聞きそびれてしまった)で、茶色いふさふさのしっぽを生やしていた。背が高くて、いつも耳をぴんと立てているのでより高く見えた。僕は鍵っ子だったのでタカハシさんにはよく遊び相手になってもらった。彼はいろんな趣味に手を出す人だった。巷で流行になったから、読んでいた本の登場人物がやっていたから、飲み友達に勧められたから。理由はなんでもよかった。これをやるぞと決めたら必要な物をとにかく買い揃える。実物はもちろん入門書からウェア、整備工具にスペアまでなにからなにまで集めてしまう。そして元が器用なのかそこそこマスターしてしまうのだ。僕はタカハシさんが丸太(素材は氷や粘土の塊、大きなスイカのときもあった)から動物の像を彫り上げたりディアボロを高く飛ばしたりするところを見てきたし、目の前をツバメウオが泳いだときや山の頂上から撮ったという日の出の瞬間の写真などを見せてもらったことがある。ギターはもちろん南米あたりの民族楽器らしい笛をどこからか手に入れてきて吹いていたときもあった。ロッククライミングをするなどと言い出したときは慌てたけど、トレーニングのために始めたボルダリングの方が気に入ったらしくジムに通いつめていたっけ。そしてマスターするころにはまた別の新しい流行が来ている。そうなるとそれまで買い揃えた道具も本もなにもかもを車に積んで売り払いに行く。さすがに授業料やジム代は返ってこなかったけど、流行の波が去ったものでもそれなりの値段をつけてくれたらしい。それを元手にして、新しい関連書籍を積んで帰ってくるのだ。魔法もそのひとつだ。僕が知っている中でタカハシさんの最後の流行が魔法だった。だから呪文の本も樫でできたステッキも使い捨てのスクロールも売り払われることなくいまも僕の手元に残っている。
僕はそんな変わり者のタカハシさんが大好きだったので、学校が終わるとすぐにタカハシさんの家に向かった。学校でつるむような友達がいなかったっていうのもあるけど(もちろん家に帰っても誰もいなかった)、単純にタカハシさんが披露してくれる演奏や作品が楽しみだった。料理のブームが来ているときには毎日おいしいおやつが食べられたし、テスト前なんかは学校の勉強も見てくれた。なにより、タカハシさんが教えてくれるいろんな器具や楽器やおもちゃの使い方を聞くのが楽しかったからだ。たまにふらっと旅に出たときは帰ってくるのを待ちながら教えてもらったことの復習をする。帰ってきたらタカハシさんは僕に旅先での写真を見せながら思い出話を語り、僕は練習の成果を彼に見せた。僕ができるようになるとタカハシさんは自分のことのように喜んでくれた。でもたいていは僕が全部覚える前に新しい流行が来てしまう。だから僕はサックスでは簡単な数フレーズは吹けるけれど難しい曲は覚えていないから吹けないし、トランプマジックなら少しはできるけど、少しテクニックのいるコインマジックはできない。なにより僕はタカハシさんほど器用ではなかった。タカハシさんの教え方は上手だったと思うけど、当時の僕にはまだ少し難しかった。いくつかのことは大人になってから本を読んで勉強したうえで再挑戦してみたけど、やっぱりタカハシさんがやっていたみたいにうまくはできなかった。
タカハシさんはいろんな趣味に熱中してきたけど、魔法が一番長く続いていたような気がする。魔法が「自分でできることしかできない」ということは、「自分ができることならできる」ということだ。道具こそ売り払ってしまったけれど、これまでに熱中した流行りものから得た技術は彼の中に積み重ねられていた。ある春には散った桜の花びらを舞い上げたかと思ったら民家の塀に貼り付けて絵を描いた。またある冬にタカハシさんは僕に家中のお椀に水を溜めさせるとそれを魔法で凍らせ、削って音階を調節したものを宙に浮かせながらジムノペディを演奏してみせた。タカハシさんはまるで無数の腕を手に入れたかのように魔法を操った。最初こそ子供だましだと思っていた僕だったけど、気付くとタカハシさんが見せる魔法に夢中になって何度も何度もせがみ、そのたびに彼は快くもう一度同じ魔法を使ってくれた。僕も魔法を使えるようになりたいと言うと、高校生が着るには大げさなマントと帽子を縫って僕に着せては「これでお前も魔法使いの弟子だ」なんて言ったりして。僕は誰よりも早く校門を出てタカハシさんの家に通っては分厚い参考書の頭から呪文を暗記していった。そしてこれまでのように僕が呪文を1つ覚える間にタカハシさんは3つ覚えていき、僕に見せびらかすように披露した。悔しかったけど、彼の魔法は鮮やかだった。そしてある日、魔法のように忽然と消えてしまった。
タカハシさんが魔法にはまりだしたのが僕が高校生になったころだったから、いなくなったのは高校を卒業するぐらいだったのだと思う。僕はタカハシさんを慕っていたけれども、彼がいなくなったことに対してそんなにショックを受けてはいなかった。もちろん寂しくはなったけど、タカハシさんがふらっといなくなることはよくあることだったし、もしかしたら家を空けがちだった両親がタカハシさんに僕の面倒を見てもらうように頼んでいただけだったのかもしれない。僕が新しい生活に慣れはじめたころ、つまりタカハシさんが失踪して半年ぐらい経って、持ち主のいなくなった魔法道具たちをどうするかという話になった。当時もう魔法の参考書は古本屋で250円、下手したら100円払えば手に入るような代物ばかりだったので売ったところで小遣いにもならなかっただろう。というよりむしろいままでタカハシさんが以前の趣味に関する本や道具を売ってそれなりのお金にしてきたことが不思議なぐらいだった。まとめて捨ててしまおうか、というところを僕が申し出て譲ってもらった。あれからタカハシさんの姿を見たことはない。僕はひとり暮らしをはじめ(いままでも十分ひとり暮らしのような状態だったけれども)、日々の生活に追われるようになった。ひとり暮らしはそれなりに忙しいけれど暇であることも確かで、いろんな趣味をはじめたくなる気持ちが少しわかったような気がする。でも僕はタカハシさんほどいろんなものに興味を持つタイプではなかったから、譲り受けた魔法の本だけで十分暇を潰すことができた。たまにタカハシさんに会いたくなると、参考書やステッキを本棚から引っ張り出してきて新しい魔法の勉強をする。タカハシさんに会えるわけではないんだけど、彼がいたころのことを思い出せるから。実際に日常生活で魔法を使う機会は年に何回かでも、ものを覚えるということはなかなか楽しい。覚えた魔法の数は増えたけれど、やっぱりタカハシさんみたいにうまくはできないなあ、なんてひとりごちてみたりする。いま彼がどこでなにをしているのか、生きているのか死んでいるのかさえわからないけれど、僕はなんとなくあの人のことだから知らない街でまた新しい趣味に没頭しながら楽しく暮らしているんじゃないかと思っている。
知らない街といえば、今日届いた郵便物の中に見慣れない住所からの絵ハガキが入っていたのを思い出した。絵ハガキなんていまどき珍しい。それを確認したら今日はもう寝よう。ずいぶん夜更かしをしてしまった。明日も特に予定はないし、久しぶりに新しい魔法の勉強でもしようかな。
魔法でできることは基本的に自分でできる範囲内だけに限られる。でも「あとちょっと」を叶えるぐらいならできる。コツさえ掴めば50m走のタイムを少しだけ縮めることだって可能だ。先生にステッキを没収されないように気をつける必要があるけれど。それ以上のことをしようとするなら、それなりに難しい呪文を覚えないといけなくなる。重いものを持ち上げれば重いものを持ち上げた分だけの疲労がたまるし、なにもないところになにかを生み出すなんてことはできない。魔法も流行りだした頃はそれなりに参考書も出版され、英会話スクールみたいな感覚で魔法スクールなんてのも駅前にできていた(それを見て僕は「これが本当の魔法学校か〜」なんて思っていた)。だけど魔法の力が万能ではなく、思っていたより便利なことはできないとわかってからはみんな魔法に対しての興味を失ってしまった。魔法を覚えるより機械のスイッチを入れるほうが楽だと気付いてしまったのだ。頑張って呪文を覚えて炎を起こせたっていまじゃライターがあれば済む話だし、分厚い参考書を読むより数ページの取扱説明書で済むほうがいいに決まってる。なにより魔法でほうきを動かすぐらいなら掃除機を動かしたほうがよっぽど効率がいい。お稽古程度での魔法はどうにも燃費が悪い。最終的に魔法のレッスンなんてものは通信講座のカタログの片隅にいる習いごとという位置に収まった。遅すぎたのだ。人類が魔法を使えるようになるのを待たずに、科学はどんどん進歩していった。毎日の郵便物を無人ドローンが運んできてくれるし、ニュースでは最新型のロボットがどうのなどと言っているような世の中でいまどき魔法なんて覚えたがるのは暇人か変わり者だ。「その燃費の悪さがいいんだよ」と言ったタカハシさんのように。
タカハシさんは僕の近所に住んでいたおじさん? おにいさん?(彼らは見た目では年齢がよくわかりにくいし、結局いくつなのか聞きそびれてしまった)で、茶色いふさふさのしっぽを生やしていた。背が高くて、いつも耳をぴんと立てているのでより高く見えた。僕は鍵っ子だったのでタカハシさんにはよく遊び相手になってもらった。彼はいろんな趣味に手を出す人だった。巷で流行になったから、読んでいた本の登場人物がやっていたから、飲み友達に勧められたから。理由はなんでもよかった。これをやるぞと決めたら必要な物をとにかく買い揃える。実物はもちろん入門書からウェア、整備工具にスペアまでなにからなにまで集めてしまう。そして元が器用なのかそこそこマスターしてしまうのだ。僕はタカハシさんが丸太(素材は氷や粘土の塊、大きなスイカのときもあった)から動物の像を彫り上げたりディアボロを高く飛ばしたりするところを見てきたし、目の前をツバメウオが泳いだときや山の頂上から撮ったという日の出の瞬間の写真などを見せてもらったことがある。ギターはもちろん南米あたりの民族楽器らしい笛をどこからか手に入れてきて吹いていたときもあった。ロッククライミングをするなどと言い出したときは慌てたけど、トレーニングのために始めたボルダリングの方が気に入ったらしくジムに通いつめていたっけ。そしてマスターするころにはまた別の新しい流行が来ている。そうなるとそれまで買い揃えた道具も本もなにもかもを車に積んで売り払いに行く。さすがに授業料やジム代は返ってこなかったけど、流行の波が去ったものでもそれなりの値段をつけてくれたらしい。それを元手にして、新しい関連書籍を積んで帰ってくるのだ。魔法もそのひとつだ。僕が知っている中でタカハシさんの最後の流行が魔法だった。だから呪文の本も樫でできたステッキも使い捨てのスクロールも売り払われることなくいまも僕の手元に残っている。
僕はそんな変わり者のタカハシさんが大好きだったので、学校が終わるとすぐにタカハシさんの家に向かった。学校でつるむような友達がいなかったっていうのもあるけど(もちろん家に帰っても誰もいなかった)、単純にタカハシさんが披露してくれる演奏や作品が楽しみだった。料理のブームが来ているときには毎日おいしいおやつが食べられたし、テスト前なんかは学校の勉強も見てくれた。なにより、タカハシさんが教えてくれるいろんな器具や楽器やおもちゃの使い方を聞くのが楽しかったからだ。たまにふらっと旅に出たときは帰ってくるのを待ちながら教えてもらったことの復習をする。帰ってきたらタカハシさんは僕に旅先での写真を見せながら思い出話を語り、僕は練習の成果を彼に見せた。僕ができるようになるとタカハシさんは自分のことのように喜んでくれた。でもたいていは僕が全部覚える前に新しい流行が来てしまう。だから僕はサックスでは簡単な数フレーズは吹けるけれど難しい曲は覚えていないから吹けないし、トランプマジックなら少しはできるけど、少しテクニックのいるコインマジックはできない。なにより僕はタカハシさんほど器用ではなかった。タカハシさんの教え方は上手だったと思うけど、当時の僕にはまだ少し難しかった。いくつかのことは大人になってから本を読んで勉強したうえで再挑戦してみたけど、やっぱりタカハシさんがやっていたみたいにうまくはできなかった。
タカハシさんはいろんな趣味に熱中してきたけど、魔法が一番長く続いていたような気がする。魔法が「自分でできることしかできない」ということは、「自分ができることならできる」ということだ。道具こそ売り払ってしまったけれど、これまでに熱中した流行りものから得た技術は彼の中に積み重ねられていた。ある春には散った桜の花びらを舞い上げたかと思ったら民家の塀に貼り付けて絵を描いた。またある冬にタカハシさんは僕に家中のお椀に水を溜めさせるとそれを魔法で凍らせ、削って音階を調節したものを宙に浮かせながらジムノペディを演奏してみせた。タカハシさんはまるで無数の腕を手に入れたかのように魔法を操った。最初こそ子供だましだと思っていた僕だったけど、気付くとタカハシさんが見せる魔法に夢中になって何度も何度もせがみ、そのたびに彼は快くもう一度同じ魔法を使ってくれた。僕も魔法を使えるようになりたいと言うと、高校生が着るには大げさなマントと帽子を縫って僕に着せては「これでお前も魔法使いの弟子だ」なんて言ったりして。僕は誰よりも早く校門を出てタカハシさんの家に通っては分厚い参考書の頭から呪文を暗記していった。そしてこれまでのように僕が呪文を1つ覚える間にタカハシさんは3つ覚えていき、僕に見せびらかすように披露した。悔しかったけど、彼の魔法は鮮やかだった。そしてある日、魔法のように忽然と消えてしまった。
タカハシさんが魔法にはまりだしたのが僕が高校生になったころだったから、いなくなったのは高校を卒業するぐらいだったのだと思う。僕はタカハシさんを慕っていたけれども、彼がいなくなったことに対してそんなにショックを受けてはいなかった。もちろん寂しくはなったけど、タカハシさんがふらっといなくなることはよくあることだったし、もしかしたら家を空けがちだった両親がタカハシさんに僕の面倒を見てもらうように頼んでいただけだったのかもしれない。僕が新しい生活に慣れはじめたころ、つまりタカハシさんが失踪して半年ぐらい経って、持ち主のいなくなった魔法道具たちをどうするかという話になった。当時もう魔法の参考書は古本屋で250円、下手したら100円払えば手に入るような代物ばかりだったので売ったところで小遣いにもならなかっただろう。というよりむしろいままでタカハシさんが以前の趣味に関する本や道具を売ってそれなりのお金にしてきたことが不思議なぐらいだった。まとめて捨ててしまおうか、というところを僕が申し出て譲ってもらった。あれからタカハシさんの姿を見たことはない。僕はひとり暮らしをはじめ(いままでも十分ひとり暮らしのような状態だったけれども)、日々の生活に追われるようになった。ひとり暮らしはそれなりに忙しいけれど暇であることも確かで、いろんな趣味をはじめたくなる気持ちが少しわかったような気がする。でも僕はタカハシさんほどいろんなものに興味を持つタイプではなかったから、譲り受けた魔法の本だけで十分暇を潰すことができた。たまにタカハシさんに会いたくなると、参考書やステッキを本棚から引っ張り出してきて新しい魔法の勉強をする。タカハシさんに会えるわけではないんだけど、彼がいたころのことを思い出せるから。実際に日常生活で魔法を使う機会は年に何回かでも、ものを覚えるということはなかなか楽しい。覚えた魔法の数は増えたけれど、やっぱりタカハシさんみたいにうまくはできないなあ、なんてひとりごちてみたりする。いま彼がどこでなにをしているのか、生きているのか死んでいるのかさえわからないけれど、僕はなんとなくあの人のことだから知らない街でまた新しい趣味に没頭しながら楽しく暮らしているんじゃないかと思っている。
知らない街といえば、今日届いた郵便物の中に見慣れない住所からの絵ハガキが入っていたのを思い出した。絵ハガキなんていまどき珍しい。それを確認したら今日はもう寝よう。ずいぶん夜更かしをしてしまった。明日も特に予定はないし、久しぶりに新しい魔法の勉強でもしようかな。
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