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11月18日
2014.11.19 Wednesday 02:11 | 日記
毎週お待ちかねのリハビリの日。
今日はなかなか悪くない会話ができたんじゃないかと思う。会話にもなにかテーマがあるとそれにあたかもワラのようにすがりついてなんとか話題を広げることができる。またここ数日人と会ったりして気付いたのだけどどうやら相手に質問を投げかけて会話を続けるタイプの人がいる。質問を受ける側に立つと聞かれたことを答えるだけなので楽だけど、それだけだと膨らまないので逆に聞き返したりすることも必要だよなあと思う。思うだけでできてないからいまここに書いているんだけど。ともすると「こういうこと聞いたりしていいのかな」「人のプライベートに足をつっこんでもいいのかな」とか思ってしまう。そもそも「『こういうことを質問してもいい』ぐらいの好感度まで上がっているのか?」とか考えるゲーム脳をまずどうにかしよう。
午前中に「みずうみ」を読み終え、引き続き「東京夜話」を貸してもらう。ツイッターにも書いたけど、長編小説は時間をたくさん使って一気に読み終えるのが一番気持ちいいと思うし、短編小説はひとつ読んだら他のことをして頭のなかをリセットしてから再開する読み方が楽しいと思う。これは多分、自分の読み方が物語のなかにのめり込むようなものだから、一度潜ってしまえば読み終えるまで浮かび上がりたくないし、一度読み終わった世界を引きずったまま別の世界には潜れないんだろうな。
「ポーの話」でもそうだったけど、水の表現がとてもいいなあと思う。あちらは濁った/泥混じりの/ぬるい水というイメージがあったけど、こちらは澄んで/青みをたたえた/冷たい水を強く感じた。まあそういう表現があるからなんだけど。でも青みをたたえた水ってどちらかと言えば南国の海とか中東の塩湖という印象が強いのに、それとは真逆の冷たさを感じるのが不思議だ。
夕飯は茶碗蒸しだった。珍しく家族揃って食べたのだけど、ここでもそこそこ喋ることができた。父は「口の達者さだけで生きてきた」と言うぐらいに口巧者な人間で(そんな父に似ていると言われる自分はそういうところばかり似ないで育った)、とにかく話題があるとそれについていろいろ喋り続ける。一方自分は本当に会話が苦手だけどオタクでもあるのでそれに合わせて知っている知識でその場で話せることがあると不思議とつらつら言葉が出てくる。でも喋っているだけで、正直ちゃんと会話できているかと言われたらちょっと違うような気もする。多分その知識を仕入れたときの記憶があって、その文面を口から出しているだけなのかもしれないけど、まあとにかく喋ることができるのだ。幼いころは図鑑から、いまではインターネットのどこかから仕入れた豆知識を話している瞬間はまるで行商人のような気持ちになる。言葉の行商人! なんだかすごくかっこよく感じるぞ! でも商品の説明ばかりで基本的なセールストークが下手な行商人か。商売人としては廃業したほうがいいな。品揃えも偏ってるし。
とはいえ今日はたくさん話すことができた。いい日だ。このごろ体調を崩す人が身近にもTL上にも増えているので少し心配だ。みんな元気にインターネットをしよう。体調悪くてもインターネットはできるけど。子供は風の子、大人はインターネットの子。
今日はなかなか悪くない会話ができたんじゃないかと思う。会話にもなにかテーマがあるとそれにあたかもワラのようにすがりついてなんとか話題を広げることができる。またここ数日人と会ったりして気付いたのだけどどうやら相手に質問を投げかけて会話を続けるタイプの人がいる。質問を受ける側に立つと聞かれたことを答えるだけなので楽だけど、それだけだと膨らまないので逆に聞き返したりすることも必要だよなあと思う。思うだけでできてないからいまここに書いているんだけど。ともすると「こういうこと聞いたりしていいのかな」「人のプライベートに足をつっこんでもいいのかな」とか思ってしまう。そもそも「『こういうことを質問してもいい』ぐらいの好感度まで上がっているのか?」とか考えるゲーム脳をまずどうにかしよう。
午前中に「みずうみ」を読み終え、引き続き「東京夜話」を貸してもらう。ツイッターにも書いたけど、長編小説は時間をたくさん使って一気に読み終えるのが一番気持ちいいと思うし、短編小説はひとつ読んだら他のことをして頭のなかをリセットしてから再開する読み方が楽しいと思う。これは多分、自分の読み方が物語のなかにのめり込むようなものだから、一度潜ってしまえば読み終えるまで浮かび上がりたくないし、一度読み終わった世界を引きずったまま別の世界には潜れないんだろうな。
「ポーの話」でもそうだったけど、水の表現がとてもいいなあと思う。あちらは濁った/泥混じりの/ぬるい水というイメージがあったけど、こちらは澄んで/青みをたたえた/冷たい水を強く感じた。まあそういう表現があるからなんだけど。でも青みをたたえた水ってどちらかと言えば南国の海とか中東の塩湖という印象が強いのに、それとは真逆の冷たさを感じるのが不思議だ。
夕飯は茶碗蒸しだった。珍しく家族揃って食べたのだけど、ここでもそこそこ喋ることができた。父は「口の達者さだけで生きてきた」と言うぐらいに口巧者な人間で(そんな父に似ていると言われる自分はそういうところばかり似ないで育った)、とにかく話題があるとそれについていろいろ喋り続ける。一方自分は本当に会話が苦手だけどオタクでもあるのでそれに合わせて知っている知識でその場で話せることがあると不思議とつらつら言葉が出てくる。でも喋っているだけで、正直ちゃんと会話できているかと言われたらちょっと違うような気もする。多分その知識を仕入れたときの記憶があって、その文面を口から出しているだけなのかもしれないけど、まあとにかく喋ることができるのだ。幼いころは図鑑から、いまではインターネットのどこかから仕入れた豆知識を話している瞬間はまるで行商人のような気持ちになる。言葉の行商人! なんだかすごくかっこよく感じるぞ! でも商品の説明ばかりで基本的なセールストークが下手な行商人か。商売人としては廃業したほうがいいな。品揃えも偏ってるし。
とはいえ今日はたくさん話すことができた。いい日だ。このごろ体調を崩す人が身近にもTL上にも増えているので少し心配だ。みんな元気にインターネットをしよう。体調悪くてもインターネットはできるけど。子供は風の子、大人はインターネットの子。
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